貴離婚は景子夫人への不信!?
元貴乃花親方 景子さんと離婚「夫婦としての卒婚です」
スポニチ
大相撲の元横綱で元貴乃花親方の花田光司氏(46)が離婚していたことが分かった。10月25日に離婚届を提出した。元夫人の河野景子さんとの間には、一男二女をもうけていたが、花田氏は本紙の取材に
「(相撲協会を)引退してからも一人の社会人として、生きていかなくてはならない。そこは真っ直ぐ進んでいかなければいけないこと。(進む道が違うのであれば、河野さんには)自分の道を行ってほしいということ」と説明した。そして「“卒婚”ということ。お互いに夫婦として卒業するということです」と話した。
離婚を決意した時期については「お互いがそう(離婚しようと)思った時期が、そう(離婚届提出日に)なった」と説明した。一方で、離婚後の今月16日に福岡県田川市で行われた「炭鉱節祭り」では、花田氏の代理で河野さんが総踊りに参加する姿も見られていた。
[ 2018年11月27日 01:02 ]
元貴乃花親方の花田光司氏が景子夫人と離婚
日刊スポーツ[2018年11月27日0時56分]
元貴乃花親方の花田光司氏(46)が、景子夫人(54)と離婚したことが26日、関係者の話で分かった。先月25日に離婚届を提出していた。
花田氏と最近話したという関係者は「(離婚したというのは)事実です。詳しい理由は言わなかったが、長年の多忙とすれ違いからくるものかもしれない」と明かした。東京・江東区にある元貴乃花部屋に暮らしていた花田氏とは別に、景子夫人は都内の別の場所に住居を構えており、二人は長く別居状態にあった。
花田さんは1994年10月、当時フジテレビアナウンサーで8歳年上の河野景子さんと交際を開始。約8カ月後の翌95年5月に結婚。結婚式は同25日、東京・明治神宮で当時の日本相撲協会の出羽海理事長(元横綱佐田の山)夫妻の媒酌で挙式していた。同年9月には長男優一さんが誕生。その後、花田さんは景子夫人の支えもあり計22回優勝。01年夏場所では右膝半月板を損傷し、1年以上休場した際も、景子夫人の献身的な看病があった。引退して親方になった後は、おかみさんとなった景子さんの存在は大きかった。
近年は夫婦の危機の噂もたびたび流れたが、そのたびに否定。花田氏が日本相撲協会退職後の先月19日には貴乃花応援会のホームページで「身内の食事会での1枚」と題し、行きつけのレストランで撮影したと思われる笑顔のツーショット写真をアップしていた。今月3日には、福岡・田川市で行われた「TAGAWAコールマイン・フェスティバル~炭坑節まつり~」に2人で仲良く笑顔で参加したが、その時には離婚していたことになる。
25日に千秋楽を迎えた九州場所では弟子だった貴景勝(22)が初優勝した。突然明らかになった離婚だったが、場所後に公になるのは想定通りだったのかもしれない。
㊟各スポーツ紙は新聞の売れ行きから、貴乃花の今後の活動を取り上げなければならないから遠慮したまとめ方をしている。が、
「離婚は確実だった。発表のタイミングを見ていたのでは…」
と口にするのはフリー芸能ジャーナリスト氏。
しかも、
「原因は景子さんですよ。結婚も景子夫人の8歳も年下の貴乃花を寄り切ってです。彼女はアナウンサー当時から、女子穴の陰口をされるほど乱れていましたから。セックスレスの期間は長いようでした。貴乃花からの拒否のようです。彼女の行動に不信感を持ったのでしょう。彼女は芸能人意識が抜けきらず相撲部屋のおかみさんに成りきれなかったんでしょう。いや、なる気がなかったとしか…」
と突き放す。
確かに、貴乃花親方の後援会幹部も景子夫人を「あの女」と呼び、長男優一を「あのバカ息子」呼ばわりしていたのも事実。
長男の優一と夫人はべったりで、優一はタレント活動をやりたがり、夫人もそれを望んでいた。景子夫人自身もタレント活動をしたかったようだ。
が、親方はそんな半端は許さなかった。「男は一つの道を究めろ」が貴乃花であるだけに、決裂したのだろう。
そうなると明年の参議院選への影響は?私の長い選挙参謀の経験から見て、影響はゼロ。貴乃花の生き様を支持する相撲ファンは圧倒的に多い。まして今後、週刊誌等で景子夫人のあれこれが報道されるようになると、「貴乃花は別れて良かった」の同情が集まり、大量得票で当選するだろう。
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