私も死ぬ!!私は嘘は書かない!!全国民必読!!空海、また夢枕で恐怖の大予言!!“人類は死滅の道を選んだ”
「地球人類の4分の3以上が屍に…生き残った人間は互いを餌として喰い合う…」(詳細は後述)
勿論、私も死ぬ。あまりにも衝撃的な予言に悩みに悩んだ。しかし、空海の二度目の予言(3月25日深夜)の後、歴史を振り返って見ると“或ること”に気付いた。
それは、
“サイコパス的政治家が現れると必ず世界大戦を起こす”
ことに行き当たり、配信を決意!!が、衝撃が大き過ぎ、文章もあちこち飛んでしまいましたことお許し願います。
繰り返すが、本当は配信したくなかった。。。何故なら、私は物心ついた頃から霊的直感が異常に強く、それを直ぐ口にし、母や子守、お手伝いさんたちを驚かせ、母には「ひと言多い」と厳しく叱られ、お手伝いさんたちには「ひと言多い坊ちゃま」と言われ続けていた。
今思えば、それは口にしたことが悉く的中していたからだ。この霊的直感は今も続いている。だからかブログでも遠慮ない言葉を吐いてしまう。どうにも止まらないのだ。
空海が再び夢枕に立ったのは2018年(平成30年)3月25日の深夜(詳細は後述)。
最初に空海が夢枕に立ったのは1999年春。出版社編集長から「空海を書いて」と頼まれ、「無神論者だ」と断っても断っても執拗に来る。嫌々引き受けた。
しかし“空海と弘法大師が同一人物”と初めて知って驚いた状態。しかも、大作家の司馬遼太郎氏も書けずに投げ出したという話も聞き、ますます手に付かず。ただ一つ知った『南無大師遍照金剛』なる言葉を呟き続けていただけ。苦しさから酒に逃れる日が続いていた。
朝、晩と愛犬の散歩中に、目黒柿の木坂の近所の奥様たちから、
「先生、また酔っぱらってるんでしょ?」
と声を掛けられ、
「参ったね。空海を書いてくれって頼まれて…何も判らなくて…」
と苦笑いし、ただただ、『南無大師遍照金剛』を呟く日が続いていた。
そして1999年晩春の深夜、空海は夢枕に立ち絞り出すような声で、
「21世紀初頭、地球上にかつてない想像を絶する事が起き、人類は修羅地獄に落ちる。人類は己の生き様を悔い改めよ。悔い改める者は空海が救うが、改めぬ者には手を伸ばさん!」
と。これが空海が最初に夢枕に立った日の言葉だった。(詳しくは『空海に教わる親子学』(イーストプレス刊)
そして漸く本書が発売されたのは2001年2月9日。そしてこの2001年9月11日の朝、世界中を震撼させた想像を絶することが起きた。世界大国アメリカでだ。
それは今、米人が“セプテンバー・イレブン”と呼ぶ、世界を震撼させた米国同時多発テロだ。
11日の朝、ボストン、ダレス、ニューアークの各空港を飛び立った四機の旅客機がほぼ同時刻にアラブ系テロリストにハイジャックされ、午前8時46分,一機目がニューヨークランドマークタワー世界貿易センタービルの北棟の突入、爆発炎上。間を置かずしてユナイテッド航空の旅客機が同ビルに突入、爆発炎上。人間の強欲の象徴の二つの巨大ビルは爆発炎上し砂上の楼閣のように崩壊した。
死者2993人、負傷者6291人も出す大参事となる。あの時、爆煙と炎の街を逃げ惑う人々の姿が今も記憶にある。だが、多くの人はこうして改めて記さないとすでに記憶の彼方…)
これこそが空海が言う「21世紀初頭のかってない、想像を絶すること」の始まりだったのか。
この10年後の2011年3月11日、我が国では東北地方太平洋沖地震による巨大津波で東京電力福島原発1号基、二号基が爆発、放射能をまき散らせ世界を震え上がらせ、押し寄せた巨大津波は東日本を広範囲にのみ込み世界史に刻まれる犠牲者を出した。
(警察庁2016年2月10日発表では地震、巨大津波関連による死者は15,894人。<宮城県9,541人、岩手県4,673人、福島県1,613人、茨城県24人、千葉県21人、東京21人、栃木県4人、神奈川県4人、青森県3人、山形県2人、北海道1人>、行方不明者2,562人。)
また2016年3月1日、消防庁のまとめによると関連死を含めた死者は19,418人)。日本ではこれを3・11(さんてんいちいち、さんいちいち)とも呼ぶ。
そしてまた、空海が夢枕に、、、二度目だ。それは今年(018年)3月25日深夜。予言の衝撃さから慌てて書棚から拙書の『空海に教わる親子学』を取り出し、見ると、
“1999年の3月、桜の花が舞い散り、木々に青葉が輝く頃”。。。まったく同時期だ!!時期まで同じとはとても偶然とは思えない。これが恐怖を募らせた。
私は1990年、『空海に教わる親子学』を書き上げ、原稿を出版社に送った後、愛犬の散歩から帰り新聞を手にすると一面の大見出しが二重に見え、急いで近所の医院に飛び込むと、医師が驚くほど異常数値の血圧を示していた。その数値に医師は「これは…」と絶句。
それが原因かどうか分からないが、「この本がノンフィクション作家として最後の作品になる」という気がしていた。それまで年に二冊の単行本を発刊し、多い年は一年で4冊の単行本を上梓した。これだけでも他の作家からは考えらえないことをやっていた。その総計四十数冊になる。
事実、これ以降、デスクに向かう気が起きず、十数年後、漸く出版したのが、自伝に近い『芸能人、ヤクザ、政治家は弱い者イジメが大好き』(グッドタイム出版 アマゾン好評発売中)のみである。
本書は政治家、ヤクザ、大物歌手らの実名が次々登場する、あまりの衝撃内容に有名出版社が辞退したためグッドタイム出版からとなったのです。
戻ろう。
そして018年3月25日深夜、二度目の空海は、
『人間は自ら墓穴を掘った。驕りきった人間が地球を壊し宇宙まで汚した。近いうち想像を絶する天変地異が地球全土で頻発。時を置かず世界の国々は三つどもえ、四つどもえの大戦争に突入し、人間が作り出した核兵器が飛び交い、生物化学兵器が豪雨となって降り注ぎ、地球のあらゆる生物は死滅し、人類の四分の三は屍となる。辛うじて生き残った人間たちも太陽の消えた漆黒の中で互いを餌として喰い合う・・・手遅れ』
と呟き消えた!飛び起きた!!全身、汗ぐっしょり。。。
…今、世界は民族戦争、宗教戦争、同一宗教宗派戦争と揺れに揺れ、連日のように殺し合いを繰り広げている。第二次世界大戦突入時も世界は揺れ、乱れ、各国に“独裁者”が登場し、独裁者に率いられたそれらの国はそれぞれ世界制覇を目指し他国を占領し、数千万人もの人々を殺戮した。
<第二次大戦の後の毛沢東の「文化大革命」では第二次大戦の世界の死者を遥かに超える約7000万人の自国民が粛清されたという。これだけでも尋常な国ではない>
第二次大戦当時、ヨーロッパを中心に“サイコパス的独裁者”が何人も登場した。順不同だがドイツでアドルフ・ヒトラーが君臨、イタリアではベニード・ムッソリーニが独裁を敷き、ソ連では血の皇帝と呼ばれたヨシフ・スターリンが独裁君臨し人民を粛清し続けた。
スペインはフランシスコ・フランコが恐怖の独裁、イギリスではウインストン・チャーチル。。。極東アジア日本は陸軍の東条英機と。
彼らサイコパスはエゴイストで自己中心。しかも異常に猜疑心が強く、異を唱えるもの、拍手をしないものは自国民であろうと、女子供であろうとその場で粛清した。一種の精神異常者だった。が、やがて彼らは喝さいの渦に囲まれ、国民も熱狂的支持をしたのだ。
ここで思い出した。あの時代の、
―大衆は“スリーエス”にうつつを抜かすー
なる言葉です。
これはヒトラー、ナチス政権で宣伝省大臣としてプロパガンダを管轄し、大衆をナチス支持に導いた。あのヨーゼル・ゲッベルスの唱えた
「大衆にはスリーエスを与えて置けば政治に関心を持たなくなる」
です。
スリーエスとは、
Screen(スクリーン=映画)、Sport(スポーツ=プロスポーツ)、Sex(セックス=性産業)
(現代ならスポーツ、スクリーン(テレビ、スマホ等)、sex」だ。
またゲッベルスの言葉として、
「小さな嘘より大きな嘘に大衆は騙される」
「嘘も100回言えば本当になる」
「嘘も毎日つけば真実になる」
もある。
現在の米ドナルド・トランプ、露ウラジーミル・プーチン、シリアのバッシャール・アル=アサド、イランのハサン‣ロウハーニー、イラクのフアード‣マアスーム、中国の習近平、韓国の文在寅、北朝鮮の金正恩と、揃いも揃って自己中心のサイコバスそのものと言えるリーダーたちではないか。。。他の政治家は烏合の衆のどんぐりばかりとなる。
享楽に酔いしれる国民たち。。。日本国民を見れば一目瞭然。
TVや映画の映像の世界では“漢字読めない、書けない、品の無いジャニッタレ”や、泥の付いた芋の子顔で知能の低いおニャン子だ、モーニング娘だ、AKBだ、乃木坂だ、欅阪だとかが下手な歌で踊りまくり、それを若者たちが追いかける。
加えて下品な吉本汚わい芸人がこれでもかと蔓延り、俺も私もとアイドルになろう、お笑い芸人になろうの末期症状。こうした連中は揃いも揃ってパンダに踊らされているのに気が付かない。
スポーツ世界を見ればフィギュアの羽生結弦や、大リーグの大谷翔平に熱狂するならまだ判るが、サッカーだ、野球だ。ラクビーだ、ボクシングだ。カーリングだと大騒ぎで政治などに関心も持たない。
そして小学、中学の教師や校長、警察官、官僚(財務省事務次官等)、弁護士や医者、町長や市長どころか国会議員どもまで淫行、セクハラを平然と行い、不倫し放題。一方、男から声を掛けてもらえぬ顔の女たちまで「イケメン大好き」とTVや雑誌で平然と口にする。
当然、この連中も政治などにまったく関心がない。(国会前デモで叫ぶのは数にも入らない。いや、この連中同士でも不倫をしているのも)。皆、Sexの快楽しか頭にない。
こうした時代、政治は乱れ、日本で言えば子どものような政治家が急増し、ああだこうだの子ども国会になり、それを狙ったように我の強い自己中心のサイコパス政治家が現れ<筆者の霊的直感が働いたのは、“まれに見る凶相”の小泉進次郎か。この男、笑顔で“目”が決して笑わない。これは冷血。顔立ちもヒトラーそっくり>やがて世界大戦の引き金を引く。。。歴史は繰り返すのです。人類の反省はその時のみ、すぐ忘れるのです。
振り返ってみよう。今年は第一次世界大戦から104年、第2次大戦からも82年…
もうあの悲惨な戦争を語る人も数えるほどしかいない。。。しかも語りべの話を聞いても遠い昔のことと関心は深まらない。国民はあの悲惨な戦争を歴史でしか知らない。だから実感は湧かない。忘れてしまった。
喉元過ぎれば熱さを忘れる…災難は忘れた頃に、、、第二次大戦時も世界の人民は現代社会そっくりで、人民は淫蕩に流れ、狂乱し、規律は乱れ、荒れに荒れ、それをチャンスと利用する“独裁思想(サイコパス)政治家”が登場し、
『国の秩序を取り戻す』
『我が国の力を世界に顕示すべき!』
と呼びかけ、戦争を始めた。
私は空海の予言した“21世紀初頭”とは…2030年までと見ている。この間に空海の第二の予言が起きる。それは今日か明日か、数か月後か、二年後か一〇年後、かは分からない。が、必ず的中すると断言す。
何故、空海が筆者の夢枕に立ち予言を告げるのか??しかも、二度までも。。。この一か月半、時間を掛けて振り返ってみた。
無神論者で、宗教に無関心でまったく信じない筆者。空海と弘法大師が同一人物とも知らなかった筆者に、何度断っても「空海を書いてくれ」としつこく頼み続けた編集長。
電話ではない。「酒でも飲まない?」と小料理屋、スナック等に呼び出し酒を奢りながらだ。それも二軒、三軒と。。。それが二度も三度もだった。これじゃ断れなくなる。
嫌々引き受けた。が、何一つ判らず、ただ一つ覚えた「南無大師遍照金剛」を呟き続けて数か月間ものたうち回っているある日の深夜、突如、空海が夢枕に立ち、冒頭の怖い予言をした。それが1999年晩春。
それ以降、空海が乗り移ったよう(行く先々で土砂降りの雨が止み天空から強い太陽が射し、晴天になったり、両の手を空に向け、「雨よ、振れ」と念じると五分も経たず俄かに空が真っ暗になり土砂振りの雨が降り出す。これは何人も証言者がいる)にまでなったのは何故なのか、それが判ったのは冒頭の著書が発売されて間もなくだった。
一人で何度か真言宗総本山の京都「東寺」、高野山に、四国にも出向き、東寺二度目の時に、何故か、今も本当に何故だか判らないのだが、筆者の戸籍謄本を高僧に渡していた。何故持っていたのかも未だに分からないのです。
(赤の他人に自分の戸籍謄本を見せたり、渡すなど考えられませんし、あり得ない事です。それを何故かやっていたのです。)
そして20001年2月。『空海に教わる親子学』を発刊後、私と母違い(父の最初の妻の子.母親は死去)で20以上歳の違う京都に住む長姉(同じ台東区生まれ)を東寺に同道し、高僧との会話の途中、長姉が思い出したように、
「あなたな、そうゆうたらおばあちゃまが南無大師遍照金剛ってよういうてたわ」
と言い出した。
「ちょ、ちょっと待ってよ。じゃうちは真言宗じゃないか!」
とびっくりしてしまった。
「そうなんやな。私も知らんかったわ」
私は顔も知らない祖母(長姉が言うおばあちゃま)は、台東区浅草でダムや鉄道、港湾建設等を受ける土木建設請負業『大羽組』を創業し、常時800人から1000人の若い衆を動かす女傑で、当時の鹿島建設、清水建設、熊谷組も太刀打ちできない(昔は大きな仕事は請け負う組の若い衆の数の差で勝ち取れた)台東区一の資産家だった(東京駅の赤レンガも祖母『大羽組』が納入した、と父が長姉に話したという)。
幼い時の父(政直)は上野の学校に通うのにお手伝いさんが二人ついていたという。長姉と次女の二人は「商店というところは欲しい物をただでくれるところだだと思って育った」と。
「付いていたお手伝いさんが払ってたんか、大羽組のお嬢さんやからとただでくれていたのか、後で家に請求書がきてたのか、いまも分からんけどな」と。
この時代、東京の盛り場は浅草しかなかった。やがて成長した父は若い衆に囲まれ、浅草で風切る勢いだったようで、やはり浅草で遊んでいた若い頃の「山口組」田岡一雄氏と、浅草の博徒「高橋組」の初代組長と三人で五分兄弟の盃を交わしたことは長姉から教えられた。山口氏も高橋氏も若く金が無い。恐らく父の奢りで楽しんでいたのだろう。
だが、私がこれを教えられたのは40代後半だ。だから私の人生で山口組や高橋組の名が出て来たことはない。(この詳細は『日本人よ、国の為に死ねるか!』<鹿砦社刊>)
だが、二代目を継いだ父・政直は、お坊ちゃん育ちのお人好しで,人を疑うことを知らない(この血を私が濃く引いている)ために大羽組を倒産させなければ末っ子(兄が幼稚園の頃肺炎で死亡)の私が三代目になるはずだった。もしかしたら北のドンのようになっていたりして(笑)。
私と長姉の会話を見ていた『東寺』の高僧が笑いなが立ち上がり、「それではこちらへ」と『大日堂』へ案内。そしてその裏側に「どうぞ」と引き入れた。一般人の入れない処だ。何かあるのか。。。
そこには古い木で刻んだ桓武天皇、嵯峨天皇、淳和天皇、昭和天皇・皇后の位牌が。。。後は普通の苗字の数十の位牌が並んでいた。
「何で他の天皇の位牌がないんですか?」
と筆者。(私のこういう発想が少し変わっているのかも)
高僧は、
「空海を庇護した天皇と帰依した天皇しか奉っていません」
そうか、中國から帰った空海が、京の都で数々の奇跡を起こした。それを目の当たりにした嵯峨天皇が「京の都を護ってくれ」と、空海に『東寺』,『西寺(今はない)』の二つと、高野山を下賜したことを思い出した。うん、これなら桓武天皇、嵯峨天皇を奉るのは分かる、、、
そして足を進めると数十の位牌の最後に。
「渡邉家」の位牌が。。。まだ新しい。
何だコレ?
高僧が、
「以前、渡邉さんから先祖の事をお聞きし、戸籍謄本を置いて行かれましたね。私たちは真言宗の関東一円の末寺を動員し過去帳を調べてもらい、渡邉家のルーツを辿らせていただきました」
と言い出した。
「それで、正次郎さんの渡邉家は嵯峨天皇の皇子で、臣下に降り、嵯峨源氏を名乗った融(トオル)皇子が遠祖で、融皇子の四代目の孫の源綱(みなもとのつな)、のちに母の出身地、渡邉を取り渡邉綱(わたなべのつな。大江山の鬼退治で有名)が、渡邉家の開祖と判りました。
正次郎さんはその三十七代目。融皇子からだと四十四代目になると判明しましたので奉らせていただいたのです」
私「・・・」
長姉「・・・」
これには呆然として言葉が出ない。ようやく落ち着き、なるほど空海・弘法大師が私に『空海に教わる親子学』を書かせたのだ。。。大作家・司馬遼太郎氏でさえ途中で投げ出した「空海」を。。。
やたら正義感が強く、生まれつき霊感が働く(現在の『オリコン』をわら半紙5枚で小池聰行と立ち挙げ、ヒットチャートを含むすべてを筆者が作成していたのだが、最も注目されたのは“売れる曲、売れない曲”のページで、的中率は百発百中で業界を震撼させ、数え切れないヒット曲を世に送り出し業界一の評価を得る。
テレビ局の歌番組ディレクターはヒットチャートを見ず、私の『売れる曲、売れない曲』を見て、先物買いで歌手を選んで出演させるまでになり、レコード会社、プロダクションが発売前のレコードを持参し、『売れるか売れないか聞かせてください』と連日来訪するようになった。
これで『オリコン』の存在は僅か一年で確固たる存在に。そして編集長時代、藤圭子、ちあきなおみ、カルメン・マキ、五木ひろし、山本リンダらを発掘)、
『オリコン』退社後、衆議院議員小峰柳多秘書に転じ、小峰議員の後援会長だった大物政治家、迫水久常参議院議員にヘッドハンティングされ秘書。
すかさず全国の数万人もの暴走族数を大同団結させ『関東連合』を創設し最高顧問に(これには警視庁も困り果てたと。迫水は知っていたが何故か沈黙していた)。挙げ句、次の『関東連合』集会を妨害した、「渡邉先生、私は警視総監になります。悪くても県警本部長です」とほざいた警察庁キャリアで交通執行課長の原田を左遷してしまう。
また、世紀の犯罪者集団「オウム真理教」の広報部長・上祐史浩が逮捕の夜、
「何百人ものジャーナリストとお会いしました。唯一信頼出来たのが渡邉正次郎先生です。身元引受人になっていただけませんか」
と電話で懇願され引き受ける(これは親族出入り禁止に)、この後先を考えない親分肌も祖母と父の血でしょうか。。。
ジャーナリスト・ノンフィクション作家に転じてから、何人もの国会議員の顧問、選挙参謀として国会、地方議員も含め多数の候補を当選させるだけでなく、「今回も落選です」という徳洲会の徳田虎雄候補の前で、弁慶の勧進帳を演じて初当選させる。これは語り草になっている。
また、衝撃の首吊り自殺した熊本選出の松岡利勝農水相は地元で鉄板地盤の後援会を作っていたが、無名の新人候補の応援を懇願され、初日に選挙区に乗り込み2500人の後援会員を前に、、
「私は大江山の鬼退治をした渡邉の綱の末裔。熊本の鬼退治に来た!」
と。この一声で大歓声の後、後援者が筆者に握手を求め殺到。3日後、早くも「松岡落選」の情報が流れ、見事小選挙区から叩き落とした。
この間、国会議員や官僚を説得し『動物愛護管理法』、『NPO法』、『個人情報保護法』、『団体規制法』を成立させた。
一民間人で法律を成立させたのは私一人です。しかも四本。これは自慢しても誰からも非難されません。法律を提案成立させることは大変なんです。並みの人間には絶対出来ない事です。
特に『NPO法』ですが、これは現名古屋市長の河村たかし氏が新進党議員当時発案、国会本会議場で趣旨説明し法案化されたものです。が、当時の大蔵省が、
「国民から金を集めるのは大蔵省以外許さない!」
の傲慢発言で、与党自民党に「『NPO法案』を潰してほしい」と逆陳情し廃案寸前の時、私に助けを求めて来たのです。
目を通してなかなかいい法案だと。大蔵官僚3人を河村議員の部屋に呼び、
「何故、君たちはこの法案に反対するのか!」
と少し強めに、やや厳しく問い詰めました。私の言葉はちゃきちゃきの江戸弁ですし、迫水久常議員秘書時代の演説で鍛えていますからビシッビシッと相手に響きます。彼らは私の前で相当緊張していました。
何故なら、彼らはこれ以前に、同上の河村たかし議員が、
「TBSがオウム真理教にワイドショーのビデオを見せたことで坂本堤弁護士一家が殺害されたと見ています。衆院逓信委員会(現総務委員会)にTBSの社長と大川報道担当常務を喚問して追及したいんですが、TBS政治部の連中が自民党に根回しして委員会を開かせないようにしています。何とかお力を」
と私に助力を求めて来ました。河村たかし議員とはこれが初対面でした。私もオウム真理教の上祐史浩広報部長の本を発刊し、オウムを追及していたことから河村氏は目を付けたものと思います。
議員室で河村氏の抱く疑問を聞き、納得し、即、その足で、以前、或ることで親しくなっていた参議院の社会党の及川一夫逓信委員長を訪ね、説明すると、「渡邉正次郎さんが言うなら間違いない」と、その場で参議院逓信委員会自民党理事を説得、その場で開催が決まりました。直ぐに河村議員の部屋に戻り、
「参議院の委員会決ったよ」
と教えると、すかさず河村議員が受話器を取り、
「参議院の委員会開催が決まりましたよ!参議院に先に開かれたら衆議院のメンツがないでしょうが!」
と逓信委員長の自民党議員を怒鳴りつけ、急きょ衆院の開催が決まったのです。
そして河村議員の質問をすべて私が作成し、当日、数百人のメディアの前でTBS大幹部二人を追及。河村議員が質問の最中、私がその場で作成した誘導質問メモを傍聴席から河村議員の秘書に落とすと、秘書から渡されたメモを手に河村議員がのびりした口調で、
「TBSに乗り込んで一番暴れた信者は誰ですかねえ」
と質問。
すると、それまで「オウム信者がTBSに乗り込んで来たという報告を受けていません」と答弁を繰り返していた磯崎社長が誘導尋問に引っかかり、前言を忘れ「一番暴れたのは上祐です」と答弁。バカですね。これで二人のそれまでの答弁が虚偽だったことがバレ、二人はクビを獲られたのです。
大蔵省の連中はこのいきさつと私の実力、しかも大蔵省の大先輩だった大物議員、迫水久常の秘書だったのを知っていたのです。ですから、私の名を聞いただけで怖がり、私の顔を見てあまりのイケメン?ぶりに緊張しまくったのです。
戻します。
「いいか、君たちの顔も立てる。“善意の人の寄付金を収入から控除”は3年間は認めずでいい。ただし、この法案は3年後見直しにして4年目から寄附金の税金控除を認めるようにしろ。君らが廃案にしようと自民党に逆陳情したようだが、自民党議員は私は継続審議に持ち込み次の国会で賛成させる」
と厳命。
最後に「君たちにまだ言いたいことがあるなら言いなさい」と小さな救いの手を伸べると、一番偉い官僚が、
「先生、この寄付金の税金控除を認めると暴力団が金集めにNPOを作る可能性が…」
と言い出した。なるほどと思ったが無視。
「私はこれから自民党議員のとこに行く」
とその場で大蔵官僚と別れ、自民党議員らの部屋を訪ね、NPO法案継続審議を認めさせ、次の臨時国会で成立させたのです(後に分かったことですが、自民党内でも大騒ぎしたようです。それと大蔵官僚が指摘したように、暴力団系右翼団体が次々とNPO法人を設立したのも事実です)。法律は制定されると良い面は大きいですが弊害も生まれるのです。
今、毎日にように目にする『個人情報保護法』も、大蔵省官僚を河村たかし議員室で厳しく叱り、説得して彼らに法案を作成させ成立させたのですが、ここでは割愛します。
繰り返しますが補国会議員というのは法律を作るのが仕事、義務なんです。その彼らが作れない法律を民間人である私が作ったのです。前代未聞のことです。
田中真紀子議員の人気で総理になれた小泉元総理など25年間も税金でメシを食いながら、筆頭提案者となって議員立法一つ作れなかったのです。それほど彼は無能でした。セガレの進次郎も声高に『JA改革』『JAバンク解体』を口にしましたが、何も実現していません。偏差値あるかないかの大學じゃおつむの程度がわかると思います。
また、『動物愛護管理法』の厚労相官僚も、『NPO法』『個人情報保護法』の時も、官僚たちは私と河村議員の前で、必死にメモを取っていましたよ。ですから、財務省官僚が国会で追及されて「メモを取っていませんでした」はまったくの虚偽です。
左翼、右翼の動向を監視する法務省の外郭団体「公安調査庁」は、左翼の活動が弱体化し廃止されるところでした。が、私が、新進党の武山百合子議員の予算委員会分科会の質問を作成、
「オウム真理教が国家転覆を画策した事実。オウムに破壊活動防止法を適用できないならばそれに代わる法律を作るのか国家、国会議員の義務です」
と追及させ立法したのが『団体規制法』です。この法律の成立で公安調査庁の存続が決まり、今も数千人の職員が働けている。長官や幹部は検察官の天下りポストです。普通なら私は法務省、警察庁はもちろん、財務省、総務省、環境庁から顧問料を貰って当然の立場なんです。
こんな波乱の人生で、裏社の連中からは“鬼神”と呼ばれる男でいながら、今も幼児たちに好かれ、この歳になっても、他人を疑うことをまったくしない、出来ない、騙されても怒らない。
物欲、金銭欲もまるでなく、借金の申し出は断れず、数百万円、積もり積もって数千万円貸した男の返済日も忘れてしまう。その金が返らなくても怒らない(その数は両手の指で足りない)。で、いて宵越しの金は持たない。端から見たらバカ丸出し、こんな子どものままの私を空海は目を付けたのだ、と気付いたのです。
不思議でならないのは自閉症の子が半日私といると、向こうから話しかけてきて治ってしまうのです。名古屋のある子は親兄弟とも口を利かず、登校拒否だったのですが、大学を卒業し元気に社会人をしています。
欠点、弱点と言えば、フィギュア界の至宝・羽生結弦くんも「自転車に乗れない」と言ったが、私も自転車はダメ。加えてスキーが出来ない。水泳が出来ない。正座が出来ないことだ。
過保護で「危ないから」と自転車もスキーも水泳もさせてもらえなかったのだ。この歳で自転車に乗れないなど普通じゃない。幼い頃から椅子で育ったため正座が本当に苦手。ですから将棋の藤井聰太くんには感心している。
話を戻そう。
この東寺での衝撃的出来後の数日後、思い出したことが。。。空海を依頼される遥か以前、何かの会合の小さなパーティーで埼玉県某市の高齢の市議会議員を紹介され名刺交換。周辺の人は「この市議さんは古代史に詳しいんです」と。。。
数日後、その市議会議員が突然、FAXを送って来たのだ。そのFAXには、
「渡邉正次郎さんは渡邉綱(わたなべのつな)の末裔です」
『嵯峨天皇の皇子、融が遠祖です』
とあり、ルーツを辿る絵図まで付けられていたのだ。まさかそんな事と、気にもせず何処かのファイルに。。。この記事をまとめるために数時間掛けそのファクスを探し出した。何故、私はこれを捨てていなかったのか。今でも分からない。
こんな事があるんですね。まさに奇跡としか言えません。こんな性格だからこそ、空海・弘法大師は私の口を借りて世に警告を発しているとしか。。。
この空海の予言。的中します。必ず。ですから配信を決意するまで2か月間も悩んだのです。希望ある若者たちの
人生を想うと、、、
追記
田中真紀子氏は初当選と同時に空前の真紀子ブームを巻き起こし小泉政権生みの親となった。その真紀子氏に多くのジャーナリストが「真紀子本」をと押し寄せた。
が、筆者の『田中真紀子が翔ぶ』(ダイヤモンド社刊)を読んで以降、真紀子氏は「私の本は渡邉正次郎以外に書かせない」と、売り出し中の政治評論家I氏が西武グループのパルコ出版から出版した「真紀子本」を発禁に。I氏はこれでメディアから消えてしまった。
また、新潟県長岡市の「田中直紀・真紀子事務所」はマスコミ一切出入り禁止だが、私だけは何故かフリーパス。
ところが皆さんも驚くと思いますが、真紀子氏と私とは今でも面識もない。それでいながら繋がったのは互いの持つ霊的直感(真紀子氏は2001年の自民党総裁選で泡沫候補の小泉純一郎を直感で担ぎ、総理に)が呼び合ったということとしか。
以降、私は『田中真紀子はなぜ人の心を掴むのか』(日本文芸社)、『田中真紀子総理で日本はこうなる!』(日本文芸社)、『怒れ!田中真紀子』(英知出版)、『』小泉純一郎・田中真紀子人心掌握の極意』(実業の日本社)と立て続けに発刊している。
お蔭で『…翔ぶ』と『…人の心を掴むのか』、『…総理で日本は』はベストセラーとなった。
追追記
恨み骨髄のヤツらには恨み晴らして死を待ちましょう。 南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 合掌
コメント
コメントの投稿
トラックバック
http://kotodamayogen.blog.fc2.com/tb.php/7079-2f80d3bb
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)