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2019-11

あなたもいつか親殺し…だから「安楽死法」を急げと言う!!

あなたもいつか親殺し…だから「安楽死法」を急げと言う!!

「楽にしてやれるのは、俺しかいない」――介護の末、実母を殺した50代男性の告白
週刊新潮

「私が殺めてしまったのは、私の実の母です。認知症を患っておりました。……私を産んでくれた母を、自らの手で命を奪ってしまったことを、罪の大きさを……深く反省しております」


 これは、認知症になった母親の介護を始めて2カ月後に、母を殺害した50代受刑者男性の言葉だ。男性は2014年の冬、公営住宅で80代の母の首を絞めて殺害したあと自首し、三重刑務所に服役している。


 近年、介護をめぐる家族間の殺人や心中などの事件が多発している。厚労省の調査によれば、介護している親族による事件で、被介護者(65歳以上)が死亡に至った事例は、2006年度から2015年度までに247件起こっているという。


 なぜ介護殺人が起こってしまうのか。当時、この事件を取材したNHKスペシャルの記者は、『「母親に、死んで欲しい」介護殺人・当時者たちの告白』で、殺人が起こってしまった経緯を紐解いている。(以下、「 」内同書より抜粋、引用)

 ***
「現場は郊外の小高い丘の上にある公営住宅。よくある一般的な作りの集合住宅だった」


 近所の人たちによれば、家族は数十年前からこの住宅に住んでいて、近所付き合いも深い方だったという。亡くなった80代の母親は、数年前から車椅子の生活になったが、近所の人たちとの仲も良く、息子と一緒に買い物に行ったり、朝にデイサービスに出かける姿も目撃されていた。


 公営住宅を訪ねた記者が、まず話を聞けたのは母親を殺害した男性の兄だった。実はその兄こそが長年母親の面倒をみていた息子だと近所の人たちは証言している。


「兄は、『二度と自分たちのような事件が起きて欲しくない。在宅介護の限界について知ってもらいたい』と話した。


 兄は60歳。自宅近くのメーカーの工場でずっと働いてきた。実直で真面目な性格は話しぶりからも伝わってくる。父親は20年ほど前に他界。兄弟は3人いるが、それぞれ独立し、兄だけがこの公営住宅に残り、母親と2人で暮らしてきたという。


 事件の1年半ほど前のことだった。一緒に買い物をして自宅に帰る途中、母親は公営住宅の廊下で転倒し、背骨を骨折。入院生活を余儀なくされた。この入院中に、母親の認知症は大きく進んでしまったのである」


 ある晩、母親は自分のことも誰だか分からなくなり、入院中に重度の介護を必要とする要介護度4にまで悪化。退院してからの介護は壮絶なものだった。

深夜も1時間に2,3回はトイレに起きて、大声を上げてふすまをたたく母親。その度に起きて世話をした兄は、ほとんど眠れない日々が続き、ついに倒れて、救急車で運ばれたという。しかし、それでも介護は終わらない。兄は、言いづらそうに「母に手をあげてしまったことがある」と語る。


「深夜に、騒ぎ続ける母親。自分のことが誰だか分からないと繰り返す。なだめても、なだめても、止まらない。どうしたら、止まるのか。とっさに、母親の頭を叩いた。その時母親は、不意に我に返り『ごめん』と謝ったという。眠れない夜は、毎日やってくる。1度だけ、疲弊に耐えかね、『死ね!』と怒声を浴びせてしまったこともあった。このままでは、母親を手にかけてしまうかもしれない――」


 ひとりで介護することを諦めた兄が頼ったのが、50代の弟だった。失業中で生活保護を受けていた弟は、実家に戻り、兄と分担して母親の面倒を見ることになった。弟は献身的に介護をしたという。兄も弟と一緒に母親を介護することになり、気持ちにゆとりが出来た。これからは、兄弟で助け合って介護を続けていけると考えていた。


「しかし、同居を始めて2カ月。弟は、母親を殺害した。事件は、朝、兄が会社に出かけた後に起きた。弟が電気毛布のコードで母親の首を絞めて殺害した。その電気毛布は母親が寒くないようにと、兄が買ってあげたばかりのものだった。兄の職場には、警察から電話がかかってきた。まさか、弟が事件を起こすとは思っていなかった。


 弟と会ったのは、警察署だった。面会中、弟は泣きわめきながら謝った。『一番、かわいそうなのはおふくろや』と」


母を楽にしてやれるのは俺しかいない

 記者は、三重刑務所で服役していた弟に話を聞くことができた。刑務所内の会議室で行われた40分間のインタビュー。そのとき彼が語った言葉はどのようなものだったのか。


「25年ぶりに実家に戻った弟の目に映ったのは、認知症の症状によって変わり果ててしまった母親の姿だったという。


『母は日本語ではないなにか……、ワーワーワーワーっていうのを言われて……、何を言っているのか全く分かりませんでした。意思の疎通が出来ない時間が1日のうちの大半だったので、それが一番つらかったです』

 目の前の母親と、自分の記憶の中の母親との大きな隔たり。その状況を弟はこう表現した。


『私は母のことを、母の皮をかぶった化け物だと思っていました』」


 意思の疎通ができない母の介護を続けていくうちに弟は追い詰められていったという。それでも、一生懸命介護をしようと、母親が暴れた時には繰り返し頭を優しくなでながら、言葉をかけ続けたり、手にハンドクリームを塗ってあげたりした。
しかし、ある時我慢の限界を感じ、暴れる母親の頬を思いっきり平手で叩いてしまった。すると母親が静かになったので、それ以降2人でいる時に、繰り返し手をあげるようになったという。


「犯行を決意したのは、事件数日前の晩だった。トイレから出てきた母親が、大便まみれになっていた。パジャマの上下にも、手にも、『どうやったらそんなにつくのか』というぐらい、大量に大便をつけていた。


『一番つらくて一番かわいそうなのは、母本人なんだなと思いました。私は母を楽にしてやれるのは俺しかいないと決めて、その2、3日後に犯行に至ってしまいました。それが全てです』


 握りしめた拳に、涙が滴っていた。今、振り返ってどう感じているのか尋ねた。


『一番の原因は、私自身に、母の認知症という病気の知識や理解がなく、理性が欠如していたからだと思います』『どれだけ謝っても謝り足りない、本当に大きな悪いことをしてしまったとただ謝るばかりです』


 なぜ、介護から逃げなかったのか――。事件を起こしてしまうぐらいなら、家を出るという選択はできなかったのか。私たちは最後に聞いた。


『なぜ自分が、介護を担わなければならないと思ったのですか』


 それまで途切れることなく話し続けていた弟は、しばし考え込んだ。そして一言だけ、絞り出すように言った。


『家族…だから…です』


 この一言に、これまでの思い、苦しみ、全てが込められているのではなかと感じた。弟はインタビュー中のほとんどの時間、涙を流し続けていた」


 番組放送後、兄の元には、番組では匿名だったが、兄だと気づいた近所の人や同僚から思わぬ励ましの声が相次いだという。母を失い、弟は刑務所に入った。それでも兄は、事件の記憶が残る家からも引っ越さずに、弟の出所を待ち続けるという。

 ***

 多くの介護殺人を見てきたNHK報道局社会部警視庁キャップは『「母親に、死んで欲しい」介護殺人・当事者たちの告白』のあとがきにこう綴る。

「今回の取材で見えてきたのは、日々の介護で精神的に追い詰められる中、ちょっとした出来事で一線を越えてしまうという介護者の実態だった。“介護殺人”を犯した人との間に一線などない。誰しもが陥ってしまう可能性を秘めている」。そう、この殺人は“ひとごと”ではないのだ。我々一人一人にいつ降り掛かってもおかしくない悲劇である。誰もが「明日は我が身」と真剣に考えながら、介護に関する制度や考え方を改めていく必要があるだろう。


㊟涙なしで読めなかった。明日は我が身。。。政治家たちよ、この記事を読め!!
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プロフィール

長官官房

Author:長官官房
渡邉 正次郎(わたなべ しょうじろう).
政治ジャーナリスト・作家
レコードヒットチャート編集長を経て、衆議院議員小峰柳多秘書、参議院議員迫水久常秘書となり、多くの政治家の選挙参謀として活躍。現在、政治・社会評論、講演の傍ら、何人もの政治家ブレーンとして『国会質問、演説原稿』等を依頼され、選挙参謀としても活動し、全員当選させている。.
 99年の東京知事選で石原慎太郎を担ぎ出させ、最後に名乗りを挙げさせる。投票日昼に「石原は165万票で当選」とマスコミ取材に応え、組織を持たない石原の票読みを的中させ驚かせた。また、オウム真理教の看板男、上佑史浩が「数百人のジャーナリストとお会いし、唯一人信じられたのは渡邉先生です」と、逮捕の日に身元引受人を依頼したことはメディアに大きく取り上げられた。.
 また、参議院議員迫水久常秘書当時、全国の暴走族を大同団結させ、『関東連合を』設立、初代最高顧問として抗争事件を起させぬよう指導した。この当時の教え子たちは現在、地方議会、大企業、役人として活躍しており、現在も彼らは情報を提供してくれている。もちろん、闇社会にも教え子は多く、彼らは組織の大幹部、親分ではあるが、今も関東連合初代最高顧問として熱い尊敬を受けている。.
.
議員生活約30年の小泉元首相“議員立法”一本もなし!が、一民間人の政治ジャーナリスト・作家の渡邉正次郎が発案、または改正させた法律(順不同).
.
*動物愛護管理法の改正.
《ペット飼育者のペット放置、殺害の多さをレビ報道で知り、『重い刑事罰に』、.
と武山百合子議員に国会で提案させ議員立法で改正を実現。今後はペットを金儲.
けに繁殖させるブリーダーや販売業者の取り締まりもより厳しくなる。<動物愛.
護管理法は明治時代に施行。このときまで一度も改正されず>》 .
.
*団体規制法(国家転覆を図った団体を取り締まる).
《オウムに破防法適用を政府が決定。が、5人の公安審査会で否決(委員に破防.
法絶対反対を組織決定している極左弁護士3名。)され激怒。武山百合子議員か.
ら国会質問作成を依頼されたことをチャンスに、衆議院予算委員会分科会で、.
「国家転覆を狙ったオウム真理教に破壊活動防止法を適用できないならば、それ.
に替わる法律を作るのが国家の義務」と質問。.
松浦功法務大臣が「素晴しい質問で、即議員立法ででも」と答弁。議員立法で成立。同時に「公安審査会の委員に破防法絶対反対の極左弁護士三名はおかしいのではないか」の質問も。以降、弁護士を2名に減》.
.
*NPO法.
《河村たかし現名古屋市長が現役代議士時代に発案法律。が、当時の大蔵官僚が.
“金を集めるのは大蔵省以外許さない”と自民党議員らに逆陳情し、廃案にされ.
る寸前に河村議員から相談され、素晴しい法案なので親しい自民党議員たちを半.
分脅し継続審議に持ち込み、次の国会で成立》.
*個人情報保護法.
《武富士顧問当時、「同業者の消費者金融Pがブラックリスト(返済がない悪質なもの)を闇金融に売り飛ばしているので、取り締まって欲しい」と依頼を受け、河村たかし議員に持ち込む。議員室に大蔵省役人を呼んで『取り締まるように』と指示すると、「取り締まる法律がない」と。ならばと河村議員を法案筆頭提案者で議員立法で成立》

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