平尾昌晃氏を偲んで…五木ひろしは筆者の一言で大歌手に!!平尾昌晃氏の「よこまは・たそがれ」を発売前に「大ヒット!勝負曲に!」と!!
先日逝った平尾氏とは記憶では二度ほど。偶然にも筆者が西麻布に芸能プロ「山の手企画」を構えた以降だ。平尾氏の事務所も西麻布にあり、何かのことで会った。
会った内容は全く記憶にない。が、平尾氏は筆者が「よこまは・たそがれ」を発売前に大ヒットと予言したことを知っていたようだ。
この面白い詳細は、アマゾン発売中の、
「芸能人、ヤクザ、政治家は弱い者イジメが大好き」
に、
*五木ひろしよ、1億円くらい持って来い!
に述べてあるように、筆者の一言がなければ五木ひろしは大スターになっていないのです。
「オリコン」を独立後、20代半ばで「音楽評論社」を港区青山に設立。その後、新橋に移転し数年後、
それから間もなく小峰柳多衆議院議員から「秘書に」の声が掛かり、もう汚い音楽業界を捨てようと考えていた時、
発行していた「週刊音評」を任せていた女性編集長の矢野くんが、
「先生、徳間書店の徳間社長からお電話ですが…」
徳間書店の「アサヒ芸能」の何人かの記者とは親しかったが、社長など知らない。
「居ないって言って」
「先生、徳間書店がミノルフォンレコード(大物作曲家・遠藤実が設立したレコード会社。千昌夫、笹みどりらがデビュー)を買い取ったんですよ。お話をされたほうが…」
矢野編集長に弱かった筆者は、嫌々ながら徳間とかいう男の電話に出た。当時、徳間は筆者より40歳以上年上だった。
「渡邉正次郎ですが?」
「初めまして。徳間康快(こうかい)と申します」
「何でしょう?」
(ごう慢でしょ?)
「実は私、ミノルフォンレコードを買い取って48ダブル(24枚・24人の歌手)と作ったんですが、勝負曲が分からなくなったんです。是非、渡邉正次郎さんに決めていただけないかと思ってお電話させてもらいました」
参ったね。誰かから「渡邉正次郎のヒット予想的中率は百発百中」と耳にしていたようだ。金にもならないのに。。。が、年長でもあるし、矢野編集長の言葉もある。
「あなた、誰から私の名を?」
「そこは勘弁してください」
「で、何処へ行けばいいんです?」
「私の徳間書店へ是非・・・同じ新橋ですので」
訊くと私の会社から歩いて10分ほどの新橋烏森。
たらたら出かけていくと、徳間書店の看板。入口に細身の結構綺麗な女性が立っている。
その女性、
「失礼ですが、渡邉正次郎先生でいらっしゃいますか?」
頷くと、「徳間の秘書でございます。ご案内いたします」と先導。「あ、徳間はこういうタイプが好みか?」など不謹慎な事を考えながらエレベーターに。
五階の社長室へ。赤ら顔の大きな男が待っていた。
「とくまこうかい(徳間康快)です。わざわざありがとうございます」
と名刺を出したが、爺さんのような私の名前と違い、あまりに若いイケメン?ぶりに驚いたようで、少し言葉がラフに。
「いや、実は48ダブル作ったんですが、勝負曲が分からなくなりまして…」
「分かりました。レコード全部聞かせてください」
こっちは何の得にもならない。(敏い男なら、「私が言った曲がヒットしたら一枚〇円の印税を貰います」と言うのですが、台東区一の資産家のバカ息子の三代目ですから考えもつかない)。
「ま、その前に紅茶でも…」
と徳間。
紅茶はあまり好みじゃない。が、持って来た別の秘書が美人なので我慢して一口。
「レコードのジャケットは必要ですか?」
と徳間。
「要りません。全部かけてください」
徳間は首を傾げながら(作詞・作曲の名前も見ないのか?と)、太い指で窓辺にあった小さなプレーヤーに一枚ずつかけていった。
24枚、俗に言うA面だけ全部聞き終え(24枚聴くって疲れるんですよ、つまらない曲ばかり。)、
「女の子の「こまっちゃうな」ってのがありましたね。これ、中ヒット。それから、男が歌ってる「よこはまたそがれ、いっていってしまった」が大ヒット。これで大勝負!」
と口から出た。
これが、出版しか知らない徳間がレコード業界に乗り出し、初のレコード発売で、他社から素人に音楽が分かるかと半ばバカにされていた時のこと。
見事的中!!、「こまっちゃうな」は山本リンダという歌手で、大ヒット勝負曲と言った「よこまさたそがれ、いっていってしまった」が、五木ひろしという歌手と知ったのは、国会議員秘書になってからだ。
もちろん、山本リンダの「こまっちゃうな」の作曲が遠藤実で、五木ひろしの「よこはま・たそがれ」が、山口洋子作詞・平尾昌晃作曲と知ったのもその時だ。なんたってジャケットも見ていないのだから。
あ、今、地獄に居る徳間には、自分の二号が経営していた銀座の有名クラブ「J」で二度ほどご馳走になったことが。こんなとこでご馳走になっても嬉しくないんです。モテるのはイケメンと金払う馬鹿だけ。帰りの車を用意していなかったら怒りです。
ま、目黒の碑文谷に住んでいた徳間は、ベンツで代々木公園を突っ切って、上原の私の自宅に送ってくれましたが。、
政治家秘書になってから、山口洋子さんが銀座で経営していた一流クラブ「姫」にも、誰かに何度か接待され顔を出した。が、こんな話をしたこともない。が、彼女は知っていたようで私を大事にしてくれた。
徳間の愛したクラブ「J」のママは、徳間以外の人と行くと、学割にしてくれました。ボトルは一万。何人でも一人一万円で。損したし分を他の客からぼったくりしていたんでしょうね。、
以上、平尾昌晃さんを偲んで。。。
こんないきさつを語れるジャーナリストなどいます?
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