都は癒着と密告の都だった。。。警官、組長と学長仲介か 直後から治療 虚偽診断書事件
朝日新聞より
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暴力団組長の虚偽診断書の作成容疑事件で、50代の京都府警の元警部補が朝日新聞の取材に対し、現職警官だった2014年1月に組長から腎臓病の病院紹介を依頼されたことを明らかにした。
組長は直後の同2月から京都府立医科大付属病院で治療を開始。同年夏の腎移植手術の前には、医科大の吉川敏一学長と会食したとみられる。
京都府警は、組長が元警部補の仲介で医科大側との関係を深めたとみて、診断書作成に至る経緯を調べている。
元警部補は長年にわたり京都府警で暴力団の捜査を担当し、14年6月に懲戒処分を受け依願退職した。虚偽診断書で懲役刑の執行停止を受けた疑いが持たれている山口組系暴力団組長の高山義友希(よしゆき)受刑者=14日に刑務所収容=とも顔見知りで、不適切な関係が処分理由の一つとされた。
元警部補は昨年11月、朝日新聞の取材に対し、高山受刑者に加えて、吉川学長とも医療ミスの捜査などを通じて交流があったと説明。「学長に就任する前から知っている。すごく社交的な人」などと話した。
元警部補によると、高山受刑者から14年1月に電話があり、「ヤクザやけど腎移植なんてしてもらえるやろうか」などと相談を受けた。
元警部補は「ヤクザやからといって医者は断らない。だから府立医大でも京大でも正面から診察を受けるのが一番いい」と助言。ただ、病院側への紹介については否定している。
捜査関係者によると、高山受刑者は当時、民間大手の武田病院グループ(京都市)の系列病院で、人工透析などの治療を受けていた。症状の悪化に伴い、この病院は13年1月、地域医療連携の枠組みを通じて、より高度な治療が受けられる医科大付属病院に高山受刑者の情報を伝えていた。
しかし、実際に高山受刑者が付属病院の診察を受けたのは、元警部補に相談した1カ月後の14年2月。診察を担当したのは、同7月に腎移植手術を執刀した吉村了勇(のりお)院長だったという。
捜査関係者によると、高山受刑者は手術に先立つ同5月、京都市の繁華街・先斗町(ぽんとちょう)のお茶屋で、吉川学長と会食していた。2人は京都市の花街・祇園や先斗町の料理店、お茶屋で接触を重ねていたとみられ、この時の会食には元警部補が同席したとの情報もある。
その後、高山受刑者の実刑判決は15年6月に確定した。吉村院長らは同8月、病状を理由に「拘禁に耐えられない」などとする意見書を大阪高検に提出し、高検は16年に刑の執行停止を決めた。京都府警は、元警部補の仲介で受刑者と医科大側が関係を深め、虚偽の診断書作成に結びついた可能性もあるとみて調べている。
一方、高山受刑者が当初腎臓病の治療を受けた武田病院グループをめぐっては、系列の「康生会・武田病院」(京都市)の医師が心臓病に関する虚偽診断書を作成した容疑で、府警の家宅捜索を受けている。
■高山義友希受刑者をめぐる動き
・2010年4月 京都府警が恐喝容疑で逮捕
・13年1月 京都府立医科大付属病院に、武田病院グループの病院から高山受刑者について情報提供
・13年6月 京都地裁が懲役8年の実刑判決
・14年1月 府警警部補に腎臓病治療について病院紹介を依頼
・14年2月 付属病院の吉村了勇院長が高山受刑者の診察開始
・14年5月 京都・先斗町のお茶屋で吉川敏一学長と会食。その後も会食か
・14年7月 付属病院で生体腎移植手術を受ける
・15年6月 最高裁で上告が棄却され、懲役8年の実刑確定
・15年8月 吉村院長らが腎臓病の意見書を提出。刑務所への収容手続きがストップ
・16年2月上旬 武田病院の担当医が心臓病の意見書を提出
・16年2月下旬 大阪高検が刑の執行停止を決定
・17年2月14日 府警が医科大や付属病院を家宅捜索
・同15日 府警が武田病院を家宅捜索
※捜査関係者らへの取材による
㊟京都は1000年を超える都=癒着の都でもあった。癒着しないと生きて行けない陰湿な都だったんです。もちろん、治安を護る大義名分で、“相互監視”、“密告”も奨励された都でもあったのです。
そのため、罪なき乳飲み子や子供たちを含む多くの人々が1000年間も殺され続けた血塗られた都です。ですから寺が多いのです。価値もないのに。
その名残りが“柔らかい言葉に隠して人を貶める”。これが京都人です。自分のことを晒しますが、筆者の嵐山の別宅は亀山御料の上にあるんです。それを管理していたのはその裏にある超有名な寺の高僧。
その坊主から「自分の不倫場部屋を設ける」ことを条件に私の友人が話を付けたのです。
しかも京都は狭い街。従って飲むとこも、女遊び、男遊びをする所も同じか、近場になる(犯罪者も取り締まり側も同じ飲み屋で顔を合わすのは必然です)。何度か顔を合わせれば言葉を交わすように。。。今日は私のおごりで、となります。
ですから芸能人の間では、「浮気するなら大阪で」が合言葉です。京都では直ぐバレるんです。
郷ひろみの不倫も、歌舞伎の中村橋之助の不倫も京都だったからすぐバレちゃったのです。
京都東映の大物俳優らも会津小鉄会や山口組幹部の盃を貰っているのが多かった。中でも有名だったのは若山富三郎、松方弘樹。二人は山口組大幹部の舎弟になっていた。で、肩で風切って。。。ジャンジャン。
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