朝日新聞はこれほど怖い!実態を知れ!!「(朝日の記者は)上(上層部)を向いて(書いている)」―高山正之の変幻自在!!()内は筆者。
新聞社にいたころ、アジア大陸を車で走りながら現地をルポし、それを連載する企画をやった。部下は3人。取材し、原稿を送り、宿を探し、明日の打ち合わせをする。
忙しい中、カメラマンの1人が「もう仕事をしない」と職場放棄を宣言した。なら帰れ。しかし彼は自分から帰ろうとせず、仲間に「家族が恋しいだろう」「帰ろうよ」と唆す。本社には「隊長は危ない」とか密告する。
連載続行が危うくなって本社は立派な隊長を除く3人を総入れ替えした。編集局長は交替の記者に「隊長にはあまり触らないよう」注意したとか。こっちが異常と思われた。で、どうなったかというと件のカメラマンは帰国して2日後に退社届を出し、朝日新聞に移籍した。
朝日の中途採用に応募していて旅の途中、マラッカで合格通知を貰った。事情を言えばいいのに、健康診断だかが残っていて不合格の可能性もあった。そのときは何食わぬ顔で元の職場に残れるよう、あの臭い芝居を打っていた。 仲間にどんなに鼻白まれてもいい。「朝日の人」になれるなら。
同じような心情の者は結構多い。同期の何人かが気付いたら朝日の人だった。「もう同期生じゃないんだ。馴れ馴れしくクン付けで呼ぶな」と言う者もいた。それほど彼らにとって朝日は大きな存在だった。
朝日は朝鮮人社会に似る。一番上の両班クラスは入社成績上位の一流大学卒。中人クラスが二流大学出の本田雅和辺りか。出向ばかり、偉くはなれない。その下の奴婢(㊟女中か下足番)クラスが産経とか他社からの中途入社組で、行く末は地方の通信部と思えばいい。
それでは下の階級がひがむから、いい仕事をすれば本社でも仕事をさせる、出世もさせると餌を撒く。神戸の通信部記者、長岡宏も頑張った。ついに月下の六甲山で地下に潜った“伊藤律”(㊟ネットで参考にしてください)に会ったという大特ダネ(㊟大虚)を書いた。
校閲見習いで入った本多勝一は長岡ほど杜撰ではなかった。彼は(朝日新聞の)広岡知男社長が支那出身と聞いて「中国の旅」を書いた。ポル・ポトが出てくれば支那つながりでポト派のやり方をいいことだ誉めそやした。
上の人が何を好むかが記事を書く上で大きなポイントだった。それに適えばいつまでの憧れの「朝日の人」でいられる。
だから、中途入社組は本多の生き方を見習った。“本田嘉郎”もただのカメラマンで終わりたくなかった。西表島の海に潜ってアザミ珊瑚に「KY」と落書きをした。日本人嫌いの一柳社長の気に入りると思った。しかし自作自演がばれてクビに。本田は本多にはなれなかった。
(次国会に参考人召致、もしくは証人喚問されるであろう]植村隆も韓国人妻に協力させて「従軍慰安婦(日本軍の強制連行)」をこしらえた。第2の本多勝一の声も出たが、産経に慰安婦証言の嘘を暴かれて<ここからブロマガ『課金記事』を購読するをクリックしてください>