沢田研二ファンクラブが突然の解散
沢田研二のファンクラブが突然の解散 「令和2年12月26日をもって…」
エンタメ 芸能 週刊新潮 2021年1月21日号掲載
1967年にデビューし、いまだ根強いファンを持つ沢田研二(72)。2018年に会場が満席になっていないとして、さいたまスーパーアリーナでのライブをドタキャンしたことが記憶に新しい。
そんな沢田は昨年末、HPにファン向けのメッセージを投稿していた。
「新型コロナウイルスの感染拡大について、収束が見えないとして、令和2年12月26日をもってファンクラブを解散する、とありました」(往年のファン)
沢田のファンクラブはもとから会費を徴収しておらず、いま解散するメリットはないように思える。その真意を音楽評論家の富澤一誠氏はこう分析する。
「多くのミュージシャンは齢を重ねると、売れなくなり、ファンが離れていきます。そんな惨めな状況になる前に、単に身内と化しているファンクラブを解散し、自分がやりたい音楽活動をやっていきたいという決意表明ではないでしょうか」
1月14日発売の週刊新潮では、年末年始にファンの心を騒がせたファンクラブ解散騒動について詳報する。
㊟沢田研二くんにも思い出が。。。ナベプロ全盛期、グループサウンズのナンバーワンの人気だった。私が「オリコン」編集長だったとき、後楽園コンサートに取材を懇請され嫌々(小雨が降ってて寒かった)が出向いた。
熱狂的ファンは雨など吹き飛ばせと声援を送っていた。が、取材席の私はさぶ~い。途中で会場を出てレコード会社に向かった。社内は暖かかった。
沢田研二のコンサート記事のまとめに、
『雨でさぶいのにホットコーヒーくらいだせ』
と書いたんだ。
これで辺プロは参って社長の渡辺晋が社員会議で、
「渡邉正次郎を買収するにはどうしたらいい?」
全員、言葉無し。また、社長が
「渡邉正次郎を買収するにはカネか女か、酒か男か?」
これにも全員沈黙。
数日後、私がナベプロで一人だけ褒め捲っていた森進一のマネージャーが、森の新アルバムを持って来訪。近所の茶店(サテン)でコーヒーを。。。
「ありがとう」
「正次郎さん、この間、うちの会社の会議に掛かったんですよ」
と言い出した。何?
「何で君の会社の会議に僕の名が挙がるんだよ?」
「渡邉正次郎を買収するには“カネか女か酒か男か”って…」
「ギャハハハ!バカか」
この当時、私は本当に怖がられていたんです。ヒット予想が100発百中でしたから、「売れる」と書いて欲しいプロダクションは目白押し。ですが、私はコーヒー一杯だけ。
同時期です。出掛けていた社長の小池聰行が帰ってくると、いきなり私に、
「渡邉クン(社長ですから編集長でも呼び捨て)、このレコード売れるって書いてくれよ」
と私のデスクに置いたのが、、井沢八郎という「ああ、上野駅」で大ヒットを飛ばし、その後、泣かず飛ばずの歌手の新曲でした。。社長より先に聴いていましたから「売れない」と分っていましたが、心優しい正次郎は、
「考えてみます。無理だと思いますよ。この曲、売れるってかいたら会社の…」
小池は苦虫を噛み潰したような顔して大きな社長デスクへ。。。後は知らん顔しておきました。
後で考えましたら、社長のヤツ、「オリコンのヒット予想は100発百中ですね」と言われ、自分が書いているよう顔していたんですね。バカ、丸出しでした。会社の信用=正次郎が一発で堕ちるんですから。。。
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沢田研二、ジュリー、懐かしいです。
数年前、動画を見て驚きました。歌う声は確かにジュリーなのに、歌い手はまるで別人です。
ジュリー、流石に往年の大スターです。TVには全く露出しません。彼自身が最も変化の程を実感しているのでしょう。
"『雨でさぶいのにホットコーヒーくらいだせ』"
→ タイガースの応援記事を待っていたのに、期待していた記事とは大違い(笑)
ナベプロ社長、大慌てだったことでしょう。「同じワタナベ姓の誼みでここはどうか一つ」と頼みに来るには、戦後の芸能界を創った男、渡辺晋さん、大物過ぎましたか。もうこの時点でナベプロあっての芸能界でした。
"このレコード売れるって書いてくれよ"
→ 小池社長も頼まれまくっていたのでしょう(笑)
ここにも、世間と正次郎先生との板挟みで苦しんでいた男がいました(笑)
しかし、提灯記事はすぐに見抜かれます。その程度のことは小池社長も判りそうなものですが、押されてしまうのでしょう。
オリコンの評判を支えていたのは、正次郎先生だったことを知りました。
沢田研二ついでに、ジュリーとジャニタレについて少し述べます。
ジュリーはジャニタレの雛形、原型です。今もってジャニタレは沢田研二のデッドコピーです。
その昔、スターと言えば石原裕次郎や赤木圭一郎タイプ、男っぽさを演出されたキャラクターでした。
60年代に入り、ビートルズの世界的大成功の影響で、我が国にもグループサンズが登場しました。
その中でも筆頭人気のタイガースは、10代女子がミニスカートを履き、涙ながらに絶叫し失神者まで出すような存在で、ボーカルのジュリーは紛れもなく当時のトップスターでした。
これをプロデュースしスターに仕立て上げたのは、作曲家すぎやまこういち先生とナベプロの渡辺晋社長でしたが、その成功を見逃さなかったのがジャニーさん、ジャニー喜多川です。
従来のスターとトップスター・ジュリーとの違いは、ジュリーが女性的要素をも含む中性キャラクターだったことです。
スリーファンキーズのような通常の男性キャラグループ路線を転換し、タイガース原型のフォーリーブスで成功し、江木俊夫というスターを作り上げました。
タイガースとの違いは楽器を弾けなかったことです。楽器演奏をしなくてもグループとして成功できることを発見したジャニーさんは、その後、タイガースを雛形としながらも、演奏の出来ないグループで成功を収め、現在に至っています。亡くなるまで事務所の基本路線は変更しませんでした。
歌えない踊れない楽器できないの三拍子(笑)を揃えても、日本の芸能界・TV界では何の問題もなく仕事を取れる事に気付いていたため、現在のジャニタレがあるということかもしれません。
と、またしても業界の大御所の前で、知ったか振りをしてしまいました(・・;
あそみ拝