梅宮のアンナへの思い、、、
梅宮のアンナへの思い、、、
梅宮辰夫さんが生前に東京の豪邸を売却、娘アンナは「救われた」
ポストセブン2020/12/28 07:00
梅宮アンナが語る亡父・辰夫さんの相続手続きの苦労
任侠映画に欠かせない銀幕スターであり、海釣りと料理がプロ級の腕前だった梅宮辰夫さんが慢性腎不全で亡くなって、早くも1年が経った(2019年12月12日逝去・享年81)。
満州で生まれた辰夫さんは終戦後に博多(福岡)へ引き揚げたのち、医師だった父の都合で水戸(茨城)や東京などを転々とした。大学在学中に銀座でスカウトされ、映画俳優として活躍するも、個人事務所の倒産、離婚を経験し、クラウディアさん(76才)と再婚するなど激動の人生を歩んだ。
晩年は若い頃の豪放磊落ぶりを反省。病気がちではあったものの家族を大切にし、クラウディアさんと一人娘のアンナ(48才)、アンナの娘であり養子縁組を結ぶ百々果さん(18才)に囲まれ、人生を謳歌しての旅立ちだった。「大黒柱」を失った3人の女性たちは、その後の相続手続きに奔走した。アンナが明かす。
「父が亡くなった直後に始まった相続手続きは、2020年7月下旬に無事終わりました。相続税の申告は亡くなってから10か月以内に済ませなければならないのですが、遺言書も財産の一覧表も何も残っていなかったため苦労しました。母の前に別の人と結婚していたことがあるし、ほかに相続人がいないか、戸籍をすべてたどって証明しないと凍結された口座の解除もできないんです。満州から引き揚げた後に住んでいた水戸や、パパの祖父の出生地である福島・会津若松の市役所にも直接足を運びました。もし、あのまま銀行の口座が凍結されていたらって考えると、ゾッとします」
辰夫さんはかつての時代背景もあり、1つの銀行に複数の口座を開設するなど、たくさんの口座を持っていた。
「パパ名義の車も複数台あったのですが、名義変更もできず売ることもできずに困りました。それでも自動車税の納税通知書は来る。さらに銀行の貸金庫も解約できないまま使用料だけ毎月払わされていたんです」(アンナ)
遺言書がない場合、遺産分割は法定相続分に従うのが一般的だ。梅宮家の場合、妻のクラウディアさんが2分の1、残りをアンナと養子である百々果さんで折半することでまとまった。
都心の豪邸を残されてもうれしくない
これらの手続きは、もちろん弁護士や税理士などの専門家の助言を受けてのことだったが、それでもアンナ自身が動かなければ物事が進まない場面が多かったそうだ。
「母は憔悴してそれどころでなく、私が役所や金融機関に足を運んだ回数は60回以上になります。パパは最期の瞬間までベッドで書きものをしていて、私が『書いて』ってお願いした遺言書だと思っていたら、じつは料理のレシピを目次つきで綴っていたんです(笑い)。ですが、遺言書はなかったとはいえ、細かく整理してくれていたし、借金もなかったので助かりました」(アンナ)
そんな中でも、アンナが最も「救われた」と話すのは、都心の自宅を生前に売却していたことだ。晩年の辰夫さんは、愛してやまなかった神奈川・真鶴の別荘を拠点としていた。もし、都心の豪邸もそのまま残されていた場合、相続税は莫大なものになり、相続を放棄せざるを得なかっただろうとアンナは語る。
「真鶴の家はいまも残っています。東京と地方では相続税(不動産の相続税の評価額)の桁が違うんです。東京の一等地に豪邸を残されても、正直なところ、家族はうれしくないですよ」
※女性セブン2020年1月7・14日号
㊟アンナも大変だったね。沖縄米兵と夜の女の間に生まれた羽賀研二なんてイケメンワルに惚れて、梅宮から随分金を引き出させたし…大らかな梅宮も言ったね「あんは悪はいない」って。
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