あそみ様、亀様、感謝です。
くだらない笑い出す話です。晩秋に発見したのですが、スーパーのヤマザキパンの焼きそばパンです。以外と好きで一週間に二度ほど。
驚きました。ヨーカドーで買った山崎の“焼きそばパン”、口に入れて、あれ?と残りを見たらなんとまぁ、コッペパンに焼きそばが挟んであるいつものと違うのです。
パンを半分にして、その上に“焼きそばを乗せて”あるんですよ。山崎パンは一個売る毎に、パン半分儲けているんです。火事場泥棒というか、国家危機を利用して、なんという商売をするんですかね。
徳川家康の「士農工商」…家康は商人のあくどさを見抜いていたんですね。
パソナグループ会長の竹中部落平蔵(年収14億円)も南部靖之も、ソフトバンクの損不正義もオリックスの宮内義彦もあくどいですが、山崎パンまで。。。世も末とはこれを言うんでしょうね。情けなく笑える話です。
蛇足ですが、本当に心配しているのは国民の飢餓と、妊娠中の女性が武漢疫病に感染し、傷害を持った子が生まれることです。
私が30年以上前、江沢民の時代にゴキブリ国へ二度、強引に誘われ行き、18都市を回りました。で気付いたのが、どの空港、駅ターミナルを出ても、街を歩いても、外国人を珍しいとか、モノをくれると待つ障害者、精神障害者が一人も居なかったのです。
他のアジア国では当たり前の風景がなかったのです。で、「江沢民大嫌い」と私の耳元で囁いた若い中国人男性通訳に小さく訊ねると、彼はバスの窓から遥か遠くを指さし、後ろから私の耳元に口を寄せ、
「あの向こうの外国人が絶対に行けないところに収容しているんです。恥だから外国人に見せるなと」(どうやらここに収容する人民の内臓を摘出しているようです)
この数なんと1億。また、江沢民の一人っ子政策約30年で「戸籍ナシが約2億。計16億人」と。。。約10年前、これをバラした途端、私のブログに中国語で嫌がらせが。。。今は嫌がらせはありません。
その一、二年後、彼の国は人口を14億と発表したのです。まだ、2億誤魔化しています。
もう一つ怖いのは二年ほど前、李克強首相が、
「我が国の地下水の90%は汚染されている」
と公式に発表したことです。
私は「嘘を吐くな100%汚染されているじゃないか」と配信しましたが。。。あの国は日本のように河の水を浄化して使えないんです。すべてどぶ河で農薬、化学薬品、放り投げた人間等で腐臭が漂っているんです。
以前にも配信しましたが、外国人が泊まるホテルは紅衛兵が監視していて、ホテルの敷地を出ることができないんです。私は物書きですから夜中の一時、二時に目覚めてしまいます。
で、紅衛兵の目を盗んで(当時、日本が発売した任天堂のゲームが大流行し、監視する紅衛兵が詰所でゲームに夢中)ホテルの外に。。。唖然としました。ホテル周辺の家と言えない掘っ建て小屋から大勢の住民が外に出て、全員が小便、ウンチをしているんです。家にトイレなどないのです。
これが雨と一緒に地下水に。。。ホテルの私たちの部屋の洗面水もシャワー、風呂もこの水です。もちの論で、私たちの食べるホテルの料理もこの水で味を付けているんです。
民衆のこの姿を何度か目にして、私は「この国は疫病国家。二度と来ない!」と宣言したんです。
あ、前述の通訳男性がもう一つ言っていました。「一人っ子政策でホモがやたら増えているんです」と。私は笑いながら、「君の国は3000年前からゲイが普通だったんだよ」と言うと、黙り込みましたが。
本日の最後に、亀さん、あそみさんにお教え願いたいのですが、中国は辛亥革命まで「食人」を常食にしていたことが文献に残されています。しかも、孔子はゲイで人肉大好きだったの文献もあります。
ところが1400年前、訪中した最澄、空海はこのことを一言も残していないのです。
無神論の私が出版社のしつこいしつこい要請で『空海に教わる親子学』(イーストプレス刊)を上梓しましたが、その為に空海の足跡を辿り、あちこち飛びました。で、我が家が真言宗と知ったのですが、なぜ、最澄、空海のお二人はこの事実を公表しなかったのか、、、です。
長くなりましたことお詫びします。あそみさん、亀さんとこうした会話ができるのが私の唯一の生き甲斐です。許してください。
現在地には私の経歴を知っているのは警察(弛んだ警察に怒り狂い、サッチョウから監察を入れて、署長と三下警官を処罰。地元の古いタクシー会社の運転手どもの柄が悪すぎ、陸運局を動かし、免許取り消し、会社倒産)だけです。
東京に居る時は全都の警察のVIP扱いでしたから。西麻布で飲むと、麻布署の連中にパトカーで家に送らせていたんです。
先日、現在地のある警官が「あなたはうちに察監入れましたね」と。物凄く怖がっているようでした。
これだけで他は誰も知らないんです。ですから、話し相手など一人も居ません。朝夕の挨拶を交わす人さえいないんです。
この地の人々、民度が低すぎ。こちらに来て最初に驚いたのは、日曜日の朝、7時半からパワーショベルでガソリンスタンド解体工事を始めたことです。
物凄い音に目が覚めて時計を見て、唖然。7時半です。出て行って見ると二軒先のガソリンスタンドです。「あなたたちこの時間に何?」
と声を掛けたら、
「何だ、あんたヤクザか警察か?」
です。
激怒した私が110番し、警察と役所の夜勤を呼びつけて工事をストップさせました。まだまだ東京では考えられないことが山ほど。あ~あ、ヤンなっちゃったぁ。驚いたです。
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コメント
”あそみさん、亀さんとこうした会話ができるのが私の唯一の生き甲斐です”
→ 光栄に存じます。正次郎先生からレスを頂けることが励みになります。感謝しております。
”なぜ、最澄、空海のお二人はこの事実を公表しなかったのか、、、”
→ 重たい課題を頂戴致しました(笑)
小学生にも解るような回答をと言われれば、「面倒なことになるので、言いたく無かったから」ということでしょうか(笑)
しかしこれでは、正次郎先生から「貴様吾輩を愚弄するつもりか」とお叱りを受けてしまいますので、もう少し述べさせて頂きます。(私の文章力で簡潔に纏めるのはなかなか難しくはありますが・・・)
食人の蛮習を知らなかった可能性もありますが、当然ながら、両大師とも支那人の食人風習はご存じであったと思います。特に弘法大師は間違いなく知っておられたと確信しております。
何故に公表しなかったかと言えば、次の要因があろうかと存じます。
1.最澄と空海の入唐の主目的は、神仏習合の新理論構築であり、唐文化の紹介・輸入ではなかった。
2.仏教には不殺生戒があり、食人は仏教の非普及か教義の非実践かとなり、理論的整合性がとれない。
3.仏教国支那が蛮国であることを暴露しても、神道と仏教との融合を阻害するだけである。
4.我が国には食人文化はなく、到底理解されるものではない。
最澄という当時の新興宗派の総帥(笑)と空海という卓絶したカリスマ天才によって、我が国の神仏習合はなされたものと考えております。そのフィクサーは桓武天皇です。
桓武構想の実現によって、仏教と神道は初めて合一の道が見いだされたということかと存じます。
当然、桓武天皇自ら最澄・空海をご指名なされたものであり、事前の綿密な打ち合わせも合ったものと考えられます。(最澄も空海も身分としてはお目見え以下ですが、300年の国是の実現を期する桓武天皇が伝令しか与えなかったとは思えません。特に空海とは空白の十年間に何度もご会見なさっていると思われます。)
朝廷・神道と仏教勢力との現況を目の当たりにして、良く理解していた両大師の最優先事項は神仏習合であり、その他の事は些末事であったと思われます。故に、神仏習合の阻害要因となる危険性のあった食人文化については口を閉ざしたものと考えられます。
入唐から帰朝すると、桓武天皇御時世から平城天皇・嵯峨天皇の代へとなっていましたが、神仏習合は300年に及ぶ国是であり、新御代で良く継承されて両大師ともご尽力されました。
伝教大師最澄は、闘いの人でした。南都六宗を相手に孤軍奮闘され、「一切衆生悉皆成仏」という概念を普及されました。仏教としては「一切衆生悉有仏性」が本筋とも思えますが、これでは神道と合致しません。
天皇も等しく仏性を持つが、修行により成仏するが故に天皇も得度をして修行の道に入るべし、というのが論理的帰結となるからです。天皇はあくまでも高僧の弟子に過ぎません。これは困ったものです(笑)
一切衆生悉有仏性=誰でも仏性を持っている から、一切衆生悉皆成仏=誰でも成仏できる にしたのが最澄です。実に大きな仕事です。神道では、泉下に入れば皆神様です。祀られようが祀られてまいが全員神様になります。一切衆生悉皆成仏は神道と合致しています。法華宗高僧徳一との「三一権実の論争」通して南都六宗全僧に闘いを挑み、普及させました。実際には最澄よりも民草の救済に尽力していた徳一が気の毒にも思えますが・・・
空海は論争からは距離をとり、真言密教の布教と「綜芸種智院」の開設(庶民にも教育の門戸を開いた学校)や当時の最新工法を駆使した満濃池の改修を指揮するなど、社会事業を行っていたのはご存じの通りです。
20歳の頃空海に興味を抱いて探求していた時期があり、友人達に話しては隠居老人扱いされました(笑)
弘法大師は謎の方で解らない点多々です。20代の空白の十年間がまた謎を深めています。空海僧正像を構築するのは、空白の十年間を如何に推理するか、ということでもあるかと思います。
私見ながら、この十年間に、入唐を何度か行っていたと考えています。
四国の山地で錫を採取して資金とし、渡航して恵果僧正に師事し、その間現地調査や文明も吸収して帰国する、ということを何度か行っていたのではないかと推理しています。
理由は、
①長安西明寺での梵語修得期間は僅か3か月である
②瞬く間(7か月)に密教の奥義を会得して、恵果阿闍梨から後継者指名を受けている
③越州の4か月で、仏教に留まらず、土木・建築技術や薬学等の多分野の文化を持ち帰っている
④多数の経典類、両部大曼荼羅、祖師図、密教法具、阿闍梨付属物など膨大なものを持ち帰っている
⑤入唐以前に漢語に精通し、遣唐大使の代筆もしている
等です。
綿密な計画と地理に精通していなければ、短期留学では不可能な成果と考えられます。
この十年間、桓武天皇に直接、詳細な帰朝報告して、後に”儀式としての留学”を勅命されたということかと思います。
弘法大師は、空白の十年間の初期に虚空蔵求聞持法を体得しており、室戸岬の御蔵洞で大悟されています。
短期間での修得は、その秘法によるものと解釈することも可能かとも存じますが、そうであったとしても、実質1年半程の留学で得られた成果としては大きすぎると感じています。
*虚空蔵求聞持法
見聞の一切を記憶・再現する能力を会得する修法。
類似能力はサヴォン症候群の一部にも見受けられる。
結論
最澄にとっても空海にとっても、与えられた命題の大きさからすれば、支那国の食人文化は些末事でしかなかったので言及しなかった、ということかと存じます。
1.の補足説明
・6世紀前半の仏教伝来以降、朝廷にとって神仏習合が大きな課題であった。
・奈良時代には仏教勢力の過度な台頭があり、朝廷軽視とも呼べる事態に陥っていた。
東大寺等、御所を見下ろすような巨大寺院が建立されていることが証左であり、現代で言えば、皇居の上空を旅客機の飛行経路にせよと言っているようなものである。
・桓武天皇が長岡京、平安京と遷都したのは、平城京は治水に課題を含んでいたという問題より、仏教勢力を遠ざける意味合いが強いと思われる。
・遣唐使に僧侶を含めたのは国内の宗教改革が狙いであり、留学嘆願は形式で寧ろ勅命である。
上座仏教的色彩の強い南都六宗に対して、大乗仏教的思想を注入した新興宗教を起こし、神仏習合を完成させることにあった。桓武天皇の攻略である。
・既に大先生であった大秀才最澄と、無名だが天才である空海を抜擢し入唐させた。
本旨は神仏習合を可能ならしめる理論の構築であり、留学自体は本場で灌頂を受けることによる権威付けの為の儀式である。
・最澄は法華経を主体とした一乗理論を中核に、神道に合致する慈悲観と平等観を構築した。
これが後の法華宗高僧徳一との「三一権実の論争」の背景となり、習合理論を普及させることに繋がる。
・空海は景教(キリスト教)や明教(摩尼教・マニ教)をも複合した理論体系を構築をし、釈迦牟尼仏をも配下に治める大日如来を本尊とした宇宙観を曼荼羅で現した。
これで大日如来=天之御中主理論の背景が完成した。
・習合の理論的背景が完成したのは9世紀前半であり、故に神仏習合が日本文化となるには、聖徳太子の時代から300年以上の歳月と努力を要した。
2.の補足説明
・仏教に不殺生の戒があり、どの段階の戒にも不殺生がある
在家信徒(優婆塞・優婆夷)の五戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)や八斎戒
沙弥・沙弥尼の十戒
出家僧の具足戒(日本では最澄以降大乗戒となる)
・三法帰依と受戒が仏教徒の前提条件である。
・悟りは戒・定・慧の三学を修するものであり、破戒は悟りの放棄、信徒からの離脱である。
・しかし、最澄は「末法燈明記」で大集経等を根拠に、破戒僧に対して寛容な姿勢をみせている。
「末法には戒律の伝統は滅びているので破戒もなく、もし持戒の人(六波羅蜜の持戒波羅蜜)
がいたら市街地に虎が現れるようなもので、その者を誰が信じるというのか」と、名字の比丘(名ばかりの出家修行者)を擁護している
名字の比丘を無上の宝とすることが福田となり無生法忍の境地に到達するとも述べている。
・空海は「理趣経」において男女の交わりを肯定している。
不邪淫の呪縛からの解放とも考えられなくはない。男女の秘め事は神道においては自然の行為である。
・どんな場合においても、仏教徒が不殺生を凌駕している食人をすることはあり得ない。
・支那国においては、実質的には仏教が定着することは無かった。儒教も然り、お題目である。
3.及び4.の補足説明
・我が国には食人文化はなく、紹介・暴露する利点は全くない。
寧ろ、食人国の崇める宗教ということで、民草は仏教を排斥し、神道と仏教の融合運動に逆行する恐れがある。
・近年の遺跡発掘により食人習慣があったかのごとき学説は似非学問ある。
渡来人集落と先住民族集落の区別ができていない未熟な論説である。
う~ん、実に長いです(・・;
申し訳ありません
適当に読み飛ばしてください。
あそみ拝
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久方ぶりに貴ブログに投稿させていただきます。入水事件を知って以降、どのようにお声をかけて良いものやらと迷っているうち、月日だけ無駄に流れてしまったたわけですが、今回の玉稿を拝読し、漸く投稿をする決心がついた次第です。
当方、コロナ禍のため例年よりは仕事量が減ったものの、年金に頼ることなく生活しております。マスコミ等が伝えるところでは、小生と同世代(67~68歳)の95%超の人たちが、既に年金生活に入っているとのことですが、幸い小生の場合は手に職(翻訳)があることから、もう暫くは年金には頼らぬ生活を続けられそうです。
実母の一周忌が近づいてきました。コロナ禍ということもあり、参列者は弟夫婦と息子夫婦だけにしました。親戚の叔父や叔母らは90歳前後と、高齢ということもあり、しかも寒い本堂で風邪でも引かれたら大変だと思ったからです。取り敢えず、親戚全員に一周忌について電話連絡をした時、「コロナ禍ということもあり、出席はお控えください」、と思い切って伝えたところ、全員に快く了解していただき、内心安堵したものです。
ところで…
> 最澄と空海
最近の小生が執筆するブログ記事は、歴史と政治についての記事が多いだけに、この二人の偉大な先達についても、昔から並ならぬ関心を寄せていました。
最澄と空海が、中国の食人文化を日本に伝えなかった、より具体的に云えば、食人文化を日本に持ち込まなかった理由は、最澄も空海も日本列島で生まれて育った日本人だったということに尽きると思います。つまり、二人の先達は日本民族の気質を十全に把握していたと思いますし、決して食人文化が日本民族に受け容れられることはない、と分かっていたはずです。
何故に小生はそう言い切るのかといったあたりは、拙稿「貴族の時代 03」を一読いただければ、お分かりいただけるものと確信しております。ちなみに、同稿では渡邉さんについても書かせていただいております。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-1762.html
結局、日本民族としての気質を生み、育んだ日本列島、さらには日本民族の間に根付いた「平等」意識があったからこそ、仮に最澄や空海以外の人物が食人文化を日本に持ち込もうとしても、「平等であるべき同じ人間の肉を食らう」という、食人文化というものを日本民族は決して受け付けなかっただろうと愚考します。
さて、
ふと気がつくと師走、今年も残りわずかです。どうか三が日だけでも穏やかにお過ごしいただけること、心より祈念しております。また、今後も毎日のブログ更新を楽しみにしております。
以上、よろしくお願いいたします。
亀さん拝