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2020-09

目を覆う光景続々 武漢菌の


目を覆う光景続々 武漢菌の
コロナが暴いた「この人は無理」という人間性 「元の世界」に満ちていた不正や欺瞞が露呈した
ポストセブン 真鍋 厚
2020/06/06 18:00

 コロナ禍が始まって以降、わたしたちの周辺では目を疑う光景が続々と出現している。

 デマや流言を真に受けて慌てふためく人々、「自粛警察」を買って出る人々、今も続く「感染者たたき」に血道を上げる人々はもちろんだが、もっと身近なところでは

「感染症対策を根性論で乗り切ろうとする経営者」
「テレワークができるのにそれを認めず、出社を求め続ける経営者」
「テレワークで部下を執拗に監視し、仕事をほとんどしない上司」
「在宅の時間が増えても家事や育児に協力しないパートナー」
「エッセンシャルワーカーをばい菌扱いしたり、八つ当たりの対象にしたりする客」

などといった諸問題が噴出した。

 緊急事態宣言の解除後は、大都市圏で早くも満員電車が復活する中で、惰性的に「全員出社」を命じる企業や、「新しい生活様式」に過剰適応してクレーマーと化す人々などが世間を騒がせている。

暴かれた所属組織や人間関係の真価

 コロナ禍によって暴かれたのは、よくも悪くもそれまでの所属組織や人間関係の真価だった。例えは悪いかもしれないが、大規模かつ長期的な心理テストの被験者にされたかのように、職場や家族などのメンバーが特定のストレスでどのように振る舞うかが試されたのである。

 いわばコロナ禍は「人間性を判定するリトマス試験紙」であったのだ。コロナ以前であればごまかすことができていた「不都合な真実」が次々と露見し、経営者や上司、パートナーや友人たちの化けの皮が次々と剥がれていった。

 しかし、恐らく大多数の人々は日頃から薄々感づいていたことばかりだったのではないだろうか。これまでは実害がさほど大きなものではなく、またそれを解決するにはあまりに困難なことを理由に、肝心の問題を棚上げにしたり後回しにしたりしていたのだ。

 けれども、緊急事態宣言が発令され、感染者の増加や重症化のリスクがさまざまなメディアによって拡散され、政府の無策と失態による経済的なダメージが着実に広がっていく状況下で、程度の差こそあれ誰もが「人間性の危機」に対処せざるをえなくなったのである。

 ウィズコロナ(withコロナ)、アフターコロナ時代は、テレワークなどの多様な働き方が加速するだけでなく、所属組織や人間関係においても「見切る」「見直す」考え方も加速することだろう。近年の災禍を振り返ってみると、このような局面は3.11でも起こっていた。ただし、コロナ禍ほど広範囲で人々の心理に影響を与えている例はない。

 「すべては、その人がどういう人間であるかにかかっている」

と述べたのは、ナチスの強制収容所の生き証人で、実存分析(ロゴセラピー)の創始者であるV・E・フランクルだ。

 フランクルは、第2次世界大戦後にニヒリズムや悲観主義が蔓延する社会に対し、強制収容所での有名なエピソードから1つの教訓を示した。その収容所では、ナチスの親衛隊員である所長が、密かに自分のポケットマネーで囚人のために薬を購入していたのだった。他方で、最年長者の囚人は、囚人仲間を「ぞっとするような仕方で」虐待していた。

ますます「人間性」を突き付けられる

 フランクルは、この経験を踏まえて

「最後の最後まで大切だったのは、その人がどんな人間であるか『だけ』だった」

と主張したのである。

最後の最後まで問題でありつづけたのは、人間でした。「裸の」人間でした。この数年間に、すべてのものが人間から抜け落ちました。金も、権力も、名声もです。もはや何ものも確かでなくなりました。人生も、健康も、幸福もです。

すべてが疑わしいものになりました。虚栄も、野心も、縁故もです。すべてが、裸の実存に還元されました。(以上、V・E・フランクル『それでも人生にイエスと言う』山田邦男・松田美佳訳、春秋社)

この真理は現代においてもまったく変わるところがない。むしろ現在のコロナ禍で痛いほど突き刺さってくるエピソードではないだろうか。

わたしたちはこれからも、コロナ禍が引き起こすさまざまな事件や出来事への関わり方をめぐってますます「人間性」を突き付けられることになるだろう。そのような視点から眺めれば、ウィズコロナ、アフターコロナ時代は案外悪いものではない。フランクルのいう「裸の実存」に還元されやすくなるからだ。

 近年、人の尊厳を保つのに必要とされる信頼関係やコミュニティーといったソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の重要性に関心が注がれている。コロナ禍がそれらの再考を迫る強力な刺激剤となっている以上、引き続き既存の所属組織や人間関係を疑問視する人々が増加することは必定といえる。

 「すべては、その人がどういう人間であるかにかかっている」というシンプルかつ重大な啓示は、「厳正な眼差し」となって自他の言動――電車でたまたま隣り合った人から一国の首相に至るまで――の道義性を見極めようとする。現にもうそのような傾向が少なからず定着しつつある。

 わかりやすく言えば「人間性を疑うような者たちとどう向き合うのか」ということであり、抽象的な言い方をすれば、フランクルの「裸の実存」に基づき自分自身の生き方を問うのである。

 「こんなひどい働き方を強いる職場には戻りたくない」「パートナーは家族のことを何も考えていないかもしれない」などといった現在進行形の不信や疑念は、「何を守るために、誰と、どう生きるのか」という大きな問題へと歩み出す契機にすぎない。

逃げられる社会から逃げられない社会へ

 人類学者の西田正規は、「定住革命」について「逃げられる社会から逃げられない社会へ」というフレーズで表現した。その昔、人類は「定住者」ではなく「遊動者」として生きてきた。それが劇的に変化したのはおよそ1万年前といわれている。

 西田は

「霊長類が長い進化史を通じて採用してきた遊動生活の伝統は、その一員として生まれた人類にもまた長く長く受け継がれた。定住することもなく、大きな社会を作ることもなく、稀薄な人口密度を維持し、したがって環境を荒廃することも汚物にまみれることもなく、人類は出現してから数百万年を生き続けてきた」と指摘する。

だが、今、私たちが生きる社会は、膨大な人口をかかえながら、不快であったとしても、危険が近づいたとしても、頑として逃げ出そうとはしないかのようである。生きるためにこそ逃げる遊動者の知恵は、この社会ではもはや顧みられることもない。(以上、西田正規『人類史のなかの定住革命』講談社学術文庫)

 地震や噴火、津波や大洪水といった自然災害を、「遊動者」は身軽に移動することで、かわすすべを心得ていたが、わたしたちは「定住」という言葉が示すとおり、あくまでそこにとどまろうとする。

西田は

「ある時から人類の社会は、逃げる社会から逃げない社会へ、あるいは、逃げられる社会から逃げられない社会へと、生き方の基本戦略を大きく変えた」という。

 恐らくこれは物理的にというよりは、心理的にだ。住居というストックが象徴的であるが、所有という概念に根差した固定的な社会があるからである。関係性に対するスタンスもこの志向に半ば引きずられ、非常時においてもこの「基本戦略」を忠実に遂行しようとしてがんじがらめになっているのだ。

 「不快であったとしても、危険が近づいたとしても」「人間性を疑う」カルチャーが支配する関係性を守ることを選びがちになるのである。損して得を取れ――尊厳は損なわれるが一時の安心は得られる――というわけなのだ。

「遊動者の知恵」から何を学ぶか

 当然のことながら、わたしたちは気まぐれに「遊動者」へと先祖返りするようなアクロバティックなことはできない。そのような社会はほとんど存在しないからだ。とはいえ、「遊動者の知恵」から学ぶことはできるだろう。

 今日的な「遊動者の知恵」とは、「裸の実存」を物事の判断の中心に据えて、コミュニケーションの仕方を変えたり、相手の「人間性」を「差し引いて付き合う」フットワークのことであり、尊厳が損なわれる場所から、実りのない関係性から、素早く距離を取ったり、軽くいなしてしまうフットワークのことだ。冒険を恐れずに新しい仕事や新しいつながりに飛び込むこともそこに含まれるだろう。

 「わたしたちはもう元の世界には戻れない。しかし、元の世界がよかったといえば微妙だ」――まるでSF映画のせりふのようにも聞こえるかもしれないが、これがウィズコロナ、アフターコロナ時代の嘘偽りのない現実といえる。

ならば、わたしたちはむしろ、「元の世界」に満ち満ちていた不正や欺瞞がおのずから露呈する「今の世界」こそ、愛でなければならないのではないか。

㊟遠く離れて、PC、スマホを通じてのコミニュケーションしかない。彼も彼女もどんな性格か見抜くのも小さな画面の中の相手を見抜かねばならない。外から家に戻った時、玄関で靴をどう脱ぐか?鞄を投げ出すか、そっと置くか?食事の時、箸をどう持っているか、ご飯と味噌汁をどんな並べ方をしているか?
食べ物を口に入れたらどんな口の動かし方をするか?くちゃくちゃ音を立てて噛んでいるか?新人社員、部下の変貌を知ることもできない。。。

8日、午後6時45分に都内某所から約40分間、地下鉄を利用した。電車を待つホームでは友人や会社同僚たちが言葉少なく会話していたが、結構な込み具合の車内、、、全く会話ナシ。駅での乗り降りも会話ゼロ。。。人の声、、、全く聞こえず。不思議な世界、いや、沈黙の社会がすでに始まり、全員それを身に付けてしまった。人間が変わり始めたのです。
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プロフィール

長官官房

Author:長官官房
渡邉 正次郎(わたなべ しょうじろう).
政治ジャーナリスト・作家
レコードヒットチャート編集長を経て、衆議院議員小峰柳多秘書、参議院議員迫水久常秘書となり、多くの政治家の選挙参謀として活躍。現在、政治・社会評論、講演の傍ら、何人もの政治家ブレーンとして『国会質問、演説原稿』等を依頼され、選挙参謀としても活動し、全員当選させている。.
 99年の東京知事選で石原慎太郎を担ぎ出させ、最後に名乗りを挙げさせる。投票日昼に「石原は165万票で当選」とマスコミ取材に応え、組織を持たない石原の票読みを的中させ驚かせた。また、オウム真理教の看板男、上佑史浩が「数百人のジャーナリストとお会いし、唯一人信じられたのは渡邉先生です」と、逮捕の日に身元引受人を依頼したことはメディアに大きく取り上げられた。.
 また、参議院議員迫水久常秘書当時、全国の暴走族を大同団結させ、『関東連合を』設立、初代最高顧問として抗争事件を起させぬよう指導した。この当時の教え子たちは現在、地方議会、大企業、役人として活躍しており、現在も彼らは情報を提供してくれている。もちろん、闇社会にも教え子は多く、彼らは組織の大幹部、親分ではあるが、今も関東連合初代最高顧問として熱い尊敬を受けている。.
.
議員生活約30年の小泉元首相“議員立法”一本もなし!が、一民間人の政治ジャーナリスト・作家の渡邉正次郎が発案、または改正させた法律(順不同).
.
*動物愛護管理法の改正.
《ペット飼育者のペット放置、殺害の多さをレビ報道で知り、『重い刑事罰に』、.
と武山百合子議員に国会で提案させ議員立法で改正を実現。今後はペットを金儲.
けに繁殖させるブリーダーや販売業者の取り締まりもより厳しくなる。<動物愛.
護管理法は明治時代に施行。このときまで一度も改正されず>》 .
.
*団体規制法(国家転覆を図った団体を取り締まる).
《オウムに破防法適用を政府が決定。が、5人の公安審査会で否決(委員に破防.
法絶対反対を組織決定している極左弁護士3名。)され激怒。武山百合子議員か.
ら国会質問作成を依頼されたことをチャンスに、衆議院予算委員会分科会で、.
「国家転覆を狙ったオウム真理教に破壊活動防止法を適用できないならば、それ.
に替わる法律を作るのが国家の義務」と質問。.
松浦功法務大臣が「素晴しい質問で、即議員立法ででも」と答弁。議員立法で成立。同時に「公安審査会の委員に破防法絶対反対の極左弁護士三名はおかしいのではないか」の質問も。以降、弁護士を2名に減》.
.
*NPO法.
《河村たかし現名古屋市長が現役代議士時代に発案法律。が、当時の大蔵官僚が.
“金を集めるのは大蔵省以外許さない”と自民党議員らに逆陳情し、廃案にされ.
る寸前に河村議員から相談され、素晴しい法案なので親しい自民党議員たちを半.
分脅し継続審議に持ち込み、次の国会で成立》.
*個人情報保護法.
《武富士顧問当時、「同業者の消費者金融Pがブラックリスト(返済がない悪質なもの)を闇金融に売り飛ばしているので、取り締まって欲しい」と依頼を受け、河村たかし議員に持ち込む。議員室に大蔵省役人を呼んで『取り締まるように』と指示すると、「取り締まる法律がない」と。ならばと河村議員を法案筆頭提案者で議員立法で成立》

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