不動産大暴落で自殺者急増も!!
【マンション業界の秘密】バブルは同じ顔で来て…“違う後ろ姿”で去っていく! 過去2回よりきつい?コロナ騒動
夕刊フジ 2020.5.4
私は社会人として3度のバブルとその崩壊を眺めることになりそうだ。
1987年頃から本格化した平成大バブルを経験したのは、20代の半ばから後半だった。
85年のプラザ合意以降の円高による不況対策で、大蔵省(当時)が「過剰流動性」と呼ばれるマネーを金融市場に流し込んだのが原因だ。
当時の私はサラリーマンだった。所属長のデスクに置かれた書類入れの引き出しには、タクシー券が無造作に入れられていた。「終電がなくなったら使っていいから」
もちろん、終電前に同僚、先輩と飲みに出かけて、終電後に使っていた。それでも会社は黙認状態。問題は、終電直後だとタクシーが拾えないことだった。うまく捉まえても、数千円くらいの距離だと渋い顔をされた。
あの平成バブルは90年の正月からゆっくりと崩れ始めて、93年頃にはほぼ終わっていた。バブルという言葉が定着したのも、その頃だったように思う。
97年から98年頃は大型金融機関の倒産が相次いだ。その頃から深刻な不況感が世間に蔓延。就職氷河期が始まった。
私は小さな会社を経営していたが、社員を募集すると何十人もの応募があった。3月頃だと、新卒者まで混じっていた。
マンション市場も低迷を続けた。2002年頃に山手線沿線で売り出される新築マンションの坪単価は、200万円ちょっと。今の相場の半分以下である。
05年頃、マンション市場に異変が起き始める。不自然に価格が上昇し始めたのである。しかし、個人所得は上がっていないので、一般消費者の動きは鈍かった。そんな割高の新築を1棟単位で買っていく組織が現れた。
その頃、中国経済は年率2ケタ成長を続けて世界の資源を買いあさっていた。それで潤った資源マネーがファンドとなって日本の不動産を買い占めたのだ。
そんな「ファンドバブル」も08年のリーマン・ショックですっかり消滅する。世界は「100年に1度」と呼ばれる不況に突入し、私の同年代の人々が、数多くリストラされた。私も自社のスタッフ全員を解雇した。各国が不況対策の金融緩和で市場にマネーを流し込んでいるのに、日本は遅れた。
日本の異次元金融緩和が始まったのは13年の4月以降。14年10月の第2弾「黒田バズーカ2」でバブル発生を決定的にした。金利をゼロにして市場のマネーを4倍以上に増やしたのだ。不動産は局地的に値上がりし始めた。
このように不動産バブルは常にマネーの過剰流入で発生する。だから発生時の市場の空気はよく似ている。不動産屋は高揚して、高値でも躊躇なく買っていく。銀行の融資も下りる。バブルが来るときの顔は同じだ。
そして、このコロナ騒動が発生した。今回は過去2回よりも、かなりきつめのハードランディングになるかもしれない。これまでの経験からそんな気がする。バブルの終わり方はそれぞれだ。
■榊淳司(さかき・あつし) 住宅ジャーナリスト。同志社大法学部および慶応大文学部卒。不動産の広告・販売戦略立案・評論の現場に30年以上携わる(www.sakakiatsushi.com)。著書に「マンションは日本人を幸せにするか」(集英社新書)など多数。
㊟べらぼうな商売であぶく銭を稼いだ連中に、天は厳しい判決を下す。刑務所では税金がもったないから、即、死刑!!遺体引き取り家族からは1000万円単位の保管料も。
テーマ:とっておきの情報いろいろ - ジャンル:ニュース
コメント
コメントの投稿
トラックバック
http://kotodamayogen.blog.fc2.com/tb.php/12473-d228cc64
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)