後藤田は与謝野の愛人。。。四国の方へ
後藤田は与謝野の愛人。。。四国の方へ
四国の方、この間は「四国の選挙は金まみれ」を頂き、鹿児島奄美群島区の自民、保岡興治VS徳田虎雄の凄まじい金の飛び交いを綴ることに気を取られ、四国の後藤田正純議員のことをこぼしてしまいました。
正純議員は与謝野馨元議員の愛人でした。馨という字ですが、女じゃなく男ですよ。あの与謝野晶子の血筋。で、馨議員は東京選出の深谷隆と共に、あの元海軍主計尉だったえら~い人に抱かれる愛人でした。勿論、正純議員もえら~い人に何度か抱かれたようです。
私はこのえら~い人が防衛庁長官になった時、読売テレビから“えら~い人と三島由紀夫との対談”を依頼され、えら~い人は即OK(ま、正次郎が美青年?でしたから)、三島由紀夫側もようやくOK。
大作家の三島由紀夫、、、不思議としか。。。コンタクト取れたのには理由があります。私がオリコン編集長時代のある日、浜松町の「オリコン」に一人の男が。。。入口で、
「編集長の渡邉正次郎さんいらっしゃいますでしょうか」
3人のタイピストが私を振り向く。
「ああ、僕だ」
側に来た男が一枚のレコードを出し、
「コロムビアレコードの栗山ディレクターが、『芸能市場調査(オリコンに社名を変更する前)の編集長の渡邊正次郎に聴いて貰え、渡邊正次郎が売れると言ったらうちで発売する』って言われまして。。。」
と言い出した。当時のコロムビアレコードで栗山ディレクターと言えば、酒井政俊と張り合ったヒットメーカーだ。その栗山が売れるかどうか分からない、、、この栗山、私と会ったことはないんですよ。
まぁ、訪ねて来た男が私と似て、人の好さそうな顔していたので、
「分かった。あそこのプレーヤーに掛けて…」
と。イントロが流れた途端、
「ベストテン確実!!大ヒット!!」
と大声。
これで発売が決まり、大ヒットしたのが高橋勝とコロラティーノの「思案橋ブルース」だったのです。オリコンランキングでも確か2,3位に。。。
これで親しくなった男の事務所「鳳企画」に私が発掘した藤圭子、ちあきなおみらを預けたのです。
そんな関係のうち、鳳企画のオーナーが三島由紀夫の自決後、奥さんが発禁にしたゲイ小説『禁色』の主人公だったのを知って、えら~い人との対談仲介を頼んだのです。
オーナーは三島由紀夫にさんざん口説かれたようですが、好みじゃなくて関係なし。私の頼みだからと嫌々コンタクト取ってくれたんです。こんな事ってあるんですね。
当時の私は音楽業界で「ヒット予想は百発百中」で名が知られていましたから。オリコンのオーナーの小池聰行は電話が掛かって来る99%、訪ねて来るのは100%私でしたから、相当頭に来ていたようですが、小池は音楽のオの字の感性も無い北海道の屯田兵でしたから当然なんですが、自分がオーナーですから悔しくて悔しくてだったようです。
こうして三島由紀夫氏がえら~い人との対談を受諾したのです。
で、車で議員会館に向かい、車中からえら~い人の親しい秘書に電話。
電話に出た秘書に、
「三島由紀夫OK出たよ」
「正次郎さんッ!!そんなッ、そんな事より、三島が、三島が防衛庁で腹切ったんですッ!!」
ショックもなにも訳が分りません。言葉もなく車をUターン。事務所のテレビを点け、ただ、呆然でした。
こんな経験をした人もいないでしょうね。
あ、後藤田正純の奥さん、女優さんには内緒にしておいてくださいよ。正次郎が考えるに、正純議員も当選したくて与謝野馨議員に抱かれたんでしょうか、それとも両刀使いか…尋ねたことはありませんから分りまっせん。
ここまで書きましたから、、、ついでに。。。私が「マザコンランドセル兄弟」と名誉ある肩書を授与した鳩山邦夫議員、彼はえら~い人の愛人、深谷隆と選挙区(東京中央区・文京区)が一緒で自民党議員同士火花散らしていたんです。
で邦夫議員。何処で深谷の下半身の情報を掴んだのか、
「深谷隆はゲイ、ホモ」
と選挙区で吹きまくったんですよ。嫌ですね。バカですね。男の嫉妬ってこわ~い。
そう言えば深谷にも子ども居ないし、与謝野馨にも子供いないですね。な~んでかな?考えると眠れなくなる。
追記。
三島由紀夫の腹切りにはホント参りました。渡邉正次郎を勝手に「先生」と呼ぶ、民族運動の連中は涙流して大喜びしていましたが、未だにこの話を彼らにしたことはありません。下手に話すと、「やはり、私らの先生です!」などとなってしまいますから。
これを読まれた方は幸せですよ。こんな男は長い人生でもお目に掛かれませんから。傲慢かまして済みません。事実ですから。
コメント
コメントの投稿
トラックバック
http://kotodamayogen.blog.fc2.com/tb.php/10416-0093aca6
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)