森進一独立で受けた圧力!!
㊟の最後に、読者限定の極秘情報!!
1979年に渡辺プロを独立 森進一が受けた“森潰し”の圧力
日刊ゲンダイ9/11(水) 9:26配信
【実録 芸能人はこうして干される】#2
草創期の芸能界では、タレントの方が芸能事務所より力を持っており、タレントをよその事務所に引き抜かれたくないものだから、事務所はタレントの言いなり、ということもあったという。
そんな状況に業を煮やした芸能事務所は団結してタレントの力を封じ込めようとした。1963年に設立された芸能事務所の業界団体「日本音楽事業者協会」には、そんな狙いもあった。
音事協では加盟社間でのタレントの引き抜きを禁じ、独立を阻止することで過当競争を防いできたといわれる。音事協がその実力を見せつけたのは、森進一の独立騒動だった。
79年、森はデビュー以来、13年所属した渡辺プロダクションから独立を果たした。「襟裳岬」以来、これといったヒットが出ずに焦っていた森は、「渡辺プロに問題があるのではないか?」という疑念を持っていたという。森の所属していた渡辺プロは、業界一の名門だったが、当時は新興の芸能事務所も勢力を伸ばし、渡辺プロの影響力は低下していた。そこで、森は「渡辺プロに自分を潰す力はない」と考えたのかもしれない。
ところが、独立した森は、レコードを出せなくなり、テレビ出演も激減した。その理由は、渡辺プロ以外の芸能事務所も協調して“森潰し”に加わったためとされる。森の独立をあっさり認めると、雪崩現象が起きかねず、業界にとって死活問題となる。そこで音事協が業界の意思を体現して、テレビ局などに圧力を加えていたといわれている。
森は、独立から半年後、ようやく独立後1作目のシングルをリリースでき、それなりにヒットした。
だが、ここで新たな問題が発生した。森が他の歌手やタレントに対し、自分のように独立するよう、“そそのかした”といわれたのだ。当時、名前が取り沙汰されたのは、サンミュージック所属の都はるみや、芸映プロ所属の西城秀樹ら。音事協の総会では「あんな男はこの世界にいてもらいたくない」という声も上がった。
この影響で、80年6月ごろより、芸能界に森との共演拒否の動きが広がり、森は再び窮地に立った。その直後、森と女優の大原麗子の結婚披露宴が開かれたが、騒動の余波で欠席者が相次ぎ、森のメンツは丸潰れとなった。
仲人の自民党代議士、山中貞則は「私は独禁法の権威でありますが、仮に事業者団体が特定の者を排除しますと、独禁法が発動されることになる」と披露宴の席で挨拶したが、この時、結局、公取委は動かず、森は苦杯をなめたのだった。=つづく
(星野陽平/ジャーナリスト)
㊟そう、森進一には相当な圧力が掛かったのは事実。私は「オリコン」編集、編集長時代、オリコンを辞め、「音楽評論社」を設立しても、ナベプロの歌手を森進一しか褒めなかった。沢田研二のタイガースも中尾エミも、伊東ゆかりも園まりも全盛時代なのにだった。
ナベプロは困ったようだ、何故ならレコード店もテレビ局歌番組プロデューサーも私の百発百中の「ヒット予想」ページを見て仕入れ、出演者を決めていたからだ。
ある日、森進一のマネージャーの阿木君が「音楽評論社」に、森の新しいアルバムを持って挨拶に来て、
「正次郎さん、昨日、正次郎さん、ウチの会議にかかったんですよ」
と言い出した。
「何だ?それ?」
「渡邉正次郎を買収するには酒か女か金か男かって…」
「ギャハハ!バカかお前たち、ギャハハハ」
そう、私は芸能プロの接待も一切受けず、直感でレコードの「売れる売れない」を判断して書いていたから。で、ある程度親しかった大歌手の水原弘の新曲を持参され、“売れる、売れない”を書くのに困り、少し大きめに「水原弘よ、歌が上手すぎる。上手すぎる歌手はレコードが売れない」と逃げた。
その半年後か、ある歌謡グループのコンサートに招かれ、最前列に。そ、水原弘がゲスト出演だ。私が居るのが見えたのか、水原弘マイクを手にグループのリーダーに、
「オイ、歌の上手すぎ歌手はレコード売れないんだってよ」
と。会場から大受けしていたが、美青年時代の正次郎は参りました。
戻ります。森進一の阿木マネージャとお茶した一年後、私は芸能界を去り、スカウトされ政治家の秘書に転じていたため、森の独立にはまったく関心がなく、目を向けることもなかった。
ですが見捨てたんじゃありません。或る日、銀座に用があって議員会館から出向くと、日劇で「森進一リサイタル」の看板。有楽町駅前の果物屋で蜜柑3ケース差し入れ。銀座での用が済んで日劇の森進一の楽屋に顔を出したんですよ。
「正次郎さん、差し入れありがとうございます」
と森。隣に可愛い女の子。森が気を使って、
「五十嵐淳子さんです」
と紹介。
「知らんな」
「正次郎さん、失礼ですよ」
叱られてしまった。売り出していたアイドルだったんですね。で、五十嵐君が森の部屋を出ると、森が改めて、
「正次郎さん、藤圭子さんがアメリカから帰って来てカムバックするんですけど、どう思いますか」
森は藤圭子を私が発掘したのを知っているから質問したのです。
「歌は上手いし売れると思うんです」
と森。
「売れないね!ド貧民が「アメリカ留学?私も金があったら二三年留学したいよ」
「・・・・」
「どうしても売りたいなら、娘(後の宇多田ヒカル)の手を引いて舞台に上がって、『この娘の為にカムバックしました』って訴えれば売れるぞ」
森は正次郎は本当にズケズケ言うよ。の顔をしていました。
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最後に読者限定の極秘情報を
森進一が都はるみに独立をけしかけた。。。事実かも。何故なら都はるみと森進一には秘密の関係が。森進一が「女のため息」でデビュー、ヒット歌手の仲間入り。それから間もなく、都はるみら数人の歌手と東北巡業に。夜行寝台車で上野駅出発。
周囲が寝静まった頃、都はるみが森進一の寝台車に入り込み、森の身体の上に乗り、抵抗する森を脅し、強チンしたのです。ブスはるみでも森はまだ10代の少年、下半身は大きくなってしまいます。
こうした、人に知られたくない関係の都はるみ、、、寝台車の後、何度かあったのかも。進一、よく耐えたな。偉い!!
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