今村議員、国民舐めとるっ!!
今村議員、国民舐めとるっ!!
ドミノ辞任の集中審議 今村元復興相“読書と居眠り”の唖然
日刊ゲンダイ公開日:2019/11/07 14:50 更新日:2019/11/07 14:50
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呆れてモノが言えないとはこのことだ。
6日開かれた衆院予算委の集中審議。菅原前経産相と河井前法相が公選法違反疑惑でドミノ辞任したことについての安倍首相の任命責任と、大学入学共通テストの英語民間試験が延期になった一件が主要テーマだった。
いずれも国民の怒りが沸騰の大問題なのだが、自民党は緊張感ゼロ。質問に立った坂本哲志議員は「2人は見識、人物ともに信頼できる方で適任だった」とヨイショしたのだから、世論の感覚からズレまくっている。
さらに唖然だったのは、その坂本氏の質問中、同じ自民の今村雅弘元復興相が読書にいそしんでいたことだ。NHK中継にバッチリ映ったその手元を見ると、本のタイトルは「人に話したくなる世界史 」(文春新書)。内容紹介によれば、〈教科書には載っていない、目からウロコの世界史講義〉とある。
■自分も更迭されたのに…
机の上で堂々と本を広げていた今村氏は、次の公明党議員の質問中は膝元で隠すそぶりも。その後は、十分読書を堪能したのか、読み終えたのか、目を閉じたり、開けたりを繰り返し、うつらうつらと居眠りし始めたのだった。
「今村さんといえば、復興相時代の2017年にパーティーでの挨拶で東日本大震災について『まだ東北でよかった。首都圏に近かったら莫大な甚大な被害があった』と失言し、更迭された人です。ドミノ辞任がテーマとなっている審議なのに、まったく何をやっているのか」(自民党関係者)
安倍自民は上から下まで反省がない。
㊟この今村おっさん、ひとの助言や忠告など聞く耳持たずそのもの。秘書は大変だろうな。
おっ、政治家へ10億円!!
政治家へ10億円!!
政治家への金は10億円 倉田まり子さんには申し訳なかった
日刊ゲンダイ公開日:2019/11/10 06:00 更新日:2019/11/10 06:00
中江滋樹「投資ジャーナル」元会長
「投資ジャーナル」元会長。1954年、滋賀県近江八幡市生まれ。県立彦根東高校卒業。一時「兜町の風雲児」として注目されたが、1985年、7000人余りから580億円をだまし取ったとされる詐欺事件が発覚。首謀者として逮捕され、懲役6年の判決を受ける。その後、表舞台から姿を消し、一時死亡説も流れた。
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政財界に太いパイプを持つ三浦甲子二・テレビ朝日専務の知遇を得た中江は、毎晩のように政治家、財界人の会合に呼び出され、名が知られるようになっていった。
「三浦の親父から『すぐ来い』と電話が来るんだ。ちょうど会合が終わったところで、いろいろな政治家を紹介してくれた」
中江は後日、会った政治家には「名刺代わりです」と500万を渡していたという。配った金が10億円は下らないというから、200人くらいの政治家と顔見知りになっていたことになる。
中江が手掛ける株を証券市場が「中江銘柄」とはやし立てたのも、この頃だ。こうした中江の評判は笹川良一・日本船舶振興会会長の耳にも入り、笹川会長から会いたいという連絡が来たという。
その後、笹川会長は空いた時間ができると、頻繁に中江を会長室に呼び、雑談を交わすほど親交が深まっていった。中江は、笹川会長が時折見せる部下を睨み付ける眼力に政界のフィクサーの凄みを感じたという
「10倍融資」を始めてからの約2年間が投資ジャーナルの全盛期であった。会員が増え、金も集まったが、中江自身は、内心ビクビクしながら生きていた。
「この金融業は、証取法違反になる可能性があると思っていた。だから政治家とつながっていれば当局の抑えになると思ったんだが、逆だった。政治家とつながっていたから余計に事件になってしまった」
投資ジャーナルの関連会社は200社、従業員3000人までに膨らんだ。
「ボクが直接仕事の指示を出すのは、幹部の50人だけ。これは誰にも言わなかったが、金融業はグレーだと思っていたので、集めた資金が大きくなればなるほど叩かれるだろうと危惧していた。だから50人の幹部には『株の世界は先がどうなるかわからん、株以外で自分の家族を養える仕事を持て。新しいビジネスの考えがあればオレが出資してやる』と説明したわけ。それが“プラスワン構想”。それでいろいろな会社ができた。スナックや割烹の店をやる者もいたし、倉田まり子さんを巻き込んでしまった雑誌を創刊するアイデアもこの構想から出たことだった」
アイドル歌手だった倉田まり子の名前が出たので、出会いの経緯を聞くと、「自宅でクイズ番組を見ていた時に倉田まり子さんが出ていて清楚で誠実な感じが気に入った。それで早大出の文学青年がパルムという雑誌を作りたいといってきたので、倉田まり子さんを表紙とインタビューで使うのを条件に4000万を出資してやった。
赤坂の料亭『新浅野』でインタビューと写真撮影に同席したが、最後にカメラマンが記念撮影をしましょうというから、倉田さんの隣に座り、さらに『会長、軽く倉田さんの肩に手をかけてください』と、言われたままのことをしただけ。そしたらその記念写真を写真誌に売り飛ばしたんだよ。倉田さんの人生を狂わせてしまって申し訳ないと思っている」。
倉田まり子とは4、5回食事をしただけの関係だと中江はいう。
(取材・文=ジャーナリスト・比嘉満広)
㊟人はそれぞれではあるが、倉田まり子って可愛い?趣味が悪すぎィ。。ま、こいつのもブース
顔だものな。
イケメン愛の社長女苦手!?
イケメン愛の社長女苦手!?
スターダストのアイドル部門から離脱者が止まらない! スタッフへの不信感表明で崩壊寸前に
• 文=日刊サイゾー編集部(@cyzo)
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ももいろクローバーZや私立恵比寿中学などが所属する芸能事務所スターダストプロモーションの女性アイドル部門「STARDUST PLANET」(通称・スタプラ)に衝撃が走っている。
11月3日、スタプラ内の5人組グループ『アメフラっシ』の1周年公演がAKIBAカルチャーズ劇場で開催。そこでメンバーの大平ひかるが12月14日をもってグループを脱退し、事務所を離れることを発表したのだ。
「脱退する理由として、“スタッフさんを信用できなくなったから”と説明したというんです。地下アイドルでは、運営とメンバーが揉めて辞めるなんていうのは日常茶飯事ですが、大手事務所でスタッフへの不信感を表に出して辞めるというのは珍しい。スタプラ内部の混乱が伺えます」(音楽業界関係者)
昨年11月にスタプラ内の大所帯ユニット『3B junior』が解体。14人いたメンバーのうち9人がアイドル活動をやめ、残った5人で結成されたのがアメフラっシだった。
アメフラっシに限らず、スタプラは今、若手グループのメンバーがどんどん辞めていくという現実に直面している。『はちみつロケット』では今年6月にメンバー1人が脱退、『ロッカジャポニカ』は今年4月にメンバー2人が脱退し、新メンバーを加えて新ユニット『B.O.L.T』に移行した。
「スタプラの若手グループが全然結果を出せない状況が続いているのも事実。明確な売り出しのビジョンもないし、事務所としても方向性に迷っているのかもしれません。このままではスタプラ自体の存続が危ぶまれるレベルです」(同)
さらに追い打ちをかけるよ
Xデーは2020年!?
「2020年の東京五輪になんらかの形で絡んで、そのタイミングで解散するという噂はずっと前からありました。実際に五輪案件にガッツリ絡めるかどうかは不明ですが、いずれにしろそろそろ終わりの時を模索しているはず。スタプラ的にもももクロがいなくなると、稼ぎ頭もいなくなるわけで、事業縮小は逃れられない。若手グループのメンバーたちもそういった状況を身にしみて感じているのでしょう」(レコード会社関係者)
ちなみに、アメフラっシの運営チームはももクロと同じ。つまり、ももクロのプロデューサーである川上アキラ氏が運営トップに立っていることとなる。
「川上さんはももクロの今後を取り仕切るのに必死で、若手グループのことについては手が回らないのでしょう。そのくせ昔からの“パワハラ気質”はそのままで、部下や若手メンバーに対して、かなり強い態度でアレコレ言っているわけですから、離脱者が出るのも仕方のないことかもしれません。アメフラっシの大平さんも『自分たちを育てる気はないんだな』と感じたんじゃないでしょうか」(同)
ももクロの躍進をきっかけに、アイドル帝国を築くかとも思われたスタプラ。崩壊もそう遠くはなさそう?
㊟「この事務所の社長はもともと男好き。保坂尚樹、市原隼人、岡田将生らがその典型です」と笑うが、矢張りジャニーと同じで女なんか止めときゃいいのに。ま。男グループだとジャニに徹底的に妨害されるために、女を増やさざるを得なかったのだろう。同情する。
カリスマは性格破綻者!!
カリスマは性格破綻者!!
ジョブズもベゾスも……カリスマ経営者の多くが性格破綻者である理由
部下を怒れない人はトップに不向き
プレジデントオンライン
カリスマ経営者の多くが性格破綻者である理由(ウォルター・アイザックソン)
「成功するチーム」を導き、飛躍させ、歴史に残るイノベーションまで導いたリーダーとは、どのような人物なのか。ジャーナリストのウォルター・アイザックソンは、「デジタル革命史をひもとくと、『良い人柄+優れた能力=良いリーダー』というのはウソだとわかる」という――。
※本稿は、ウォルター・アイザックソン『イノベーターズI』(講談社)の一部を、講談社企画部が再構成したものです。
アップルは「独創的な天才」と「実践的エンジニア」のチームだった
スティーブ・ジョブズのような独創的な天才型のリーダーは、画期的なアイデアを生み出す。
彼らとがっちり組んだ、スティーブ・ウォズニアックのような実践的エンジニアが概念を機械じかけに変えてゆく。さらに技術者とアントレプレナー(起業家)がチームとなって発明を実際の製品に変えるのである。
では、そんな「成功するチーム」を導き、飛躍させ、歴史に残るイノベーションまで導いたリーダーとは、どのような人物なのだろう? デジタル革命史をひもといてみよう。
デジタル時代、つまり電子機器が私たちの生活のいたるところに埋め込まれる時代が真の意味で誕生したのは、1947年12月16日。この日、ベル研究所のふたりの科学者が数枚の金箔、半導体素材のチップ、折り曲げたクリップから、小さい装置をこしらえることに成功する。
この装置「トランジスタ」こそ、蒸気機関が産業革命で果たしたのと同じような役割を、デジタル時代で果たすことになる。
トランジスタを発明した「堕ちたリーダー」
現在もiPhoneから乗用車まであらゆるものに用いられている「トランジスタ」は、20世紀最大の発明と言っていい。
トランジスタの発明によってノーベル賞を受賞したのは、ウォルター・ブラッテン、ジョン・バーディーン、ウイリアム・ショックレーの3名だ。
このチームのリーダーだったショックレーは、歴史に名を残しながらも、「堕ちたリーダー」と評された人物でもある。
カリスマ経営者の多くが性格破綻者である理由(ウォルター・アイザックソン)
カリフォルニア州パロアルトで育ったショックレーの才能は卓越していた。中等学校を飛び級してカリフォルニア工科大学で学位を得ているし、のちにはMITで固体物理学の博士号を取得している。
彼は鋭敏で独創的、そして野心的。手品をやってみせたり、いたずらを仕掛けたりするのを好む一面もあったが、おおらかとか気さくといった言葉とは無縁だった。
実験者と理論家を加えてチームを組む
1936年、MITを卒業したショックレーはベル研究所のマービン・ケリーの訪問を受け、その場でウチに来いと誘われる。当時のベル研究所といえば、あらゆる知性が集結し、才能が自由に行きかうイノベーションの源のような場所だ。
「安定性が高く、丈夫で安価な素子で真空管を置き換える方法の探索」
これがケリーからショックレーに与えられた仕事だった。
「管の中でフィラメントを光らせる代わりに、シリコンのような個体素材を使えば解決策が見つかる」
3年後に解決策を出したショックレーには、量子論を視覚化する能力があった。
だが、彼の芸術家のような直観を現実の発明に変えるには、ジョブズにとってのウォズニアックのように、巧みな実験者が必要だった。そこでチームに加わったのが、口は悪いが陽気な西部人ウォルター・ブラッテン。彼は酸化銅などの半導体化合物で独創的な装置を作るのが得意だった。
また、理論系の中心はショックレーだったが、彼にはチームの監督という任務もあっため、理論家をもうひとり呼び寄せることになった。
選ばれたのは、もの静かな量子論の専門家ジョン・バーディーン。プリンストン大学で博士号を取得し、大戦中は海軍兵器研究所で魚雷設計についてアインシュタインと議論したという天才だ。同僚によれば「実験家と理論家のどちらとも難なく協力する真の才能を持ち合わせていた」という。
同じ部屋で膝を交えて何時間もブレスト
初めのうち、バーディーンには専用のオフィスがなく、ブラッテンの研究室に間借りする格好になっていた。これは賢明な選択だった。理論家と実験家が同じ部屋にいれば、膝を交えて何時間でもブレインストーミングを続けられるわけだ。
話し好きなブラッテンと違ってバーディーンは口数が少なく、「つぶやきジョン」と呼ばれるほどだった。ぼそぼそとした彼の話を聞くためには身を乗り出さねばならなかったが、耳を傾けるだけの価値があることは知られていた。
実験台の前に並んで座り、バーディーンがおだやかにアイデアを出すと、ブラッテンが夢中になってそれを試す。
実験が終わると、バーディーンはブラッテンのノートに記録をとる。感謝祭の休暇が過ぎたことにも気づかないまま、ふたりはいろいろなパターンを試みた。シリコンのかわりにゲルマニウム、蠟ではなくラッカー、接点には金といった具合に。
1947年12月16日の火曜日、すばらしいことが起こった。ついに実験がうまくいったのだ。点接触型トランジスタの誕生である。
その晩の帰り道、多弁なブラッテンは相乗りの車中でこう言った。
「人生で最重要の実験だった」
そのうえで、他言しないよう同乗していた同僚に告げている。
バーディーンは、いつものようにあまり口を開かなかった。だが、帰宅後の言動はいつもと違っていた。妻が台所でにんじんをむいているとき、おだやかにこうつぶやいたのだ。
「今日、大変な発見をしたよ」
理論家と実践家の協働がイノベーションとなる
20世紀最大級の発明であるトランジスタは、理論家と実験家がいっしょに取り組む共生的な関係のなかで、理論と結果をその場でぶつけ合うパートナーシップから生まれた。
舞台となったベル研究所は、70年も前から今日のシリコンバレーと同様の職場環境を実現していた。長い廊下を歩いていけば、ゲルマニウム中の不純物を操れる専門家や、表面準位を量子力学的に説明しても通じる人々に出会うことができる。あるいは、最新技術を知りつくしたエンジニアとカフェテリアで談義できる。
そんな「チームが自然発生する環境」がそこにはあった。
ショックレーは部下の発明に激しく葛藤していた
点接触型トランジスタ誕生の一報を聞いたショックレーはうろたえていた。チームの成功に誇りを感じていいはずなのに、部下への激しく暗い競争心のほうが大きくなっていたのだ。後年、彼自身もこう認めている。
「感情に、かなりの葛藤があった。チームの成功を喜ぶ高揚感は、その発明に自分が加わっていなかったことで損なわれた。私自身、8年も前から努力してきたというのに、発明にあまり貢献できなかったからだ。そこにフラストレーションを感じていた」
ショックレーは、今回の点接触型トランジスタの発明についてほかのふたりと同等の功績があると主張するため、また、もっと高性能な素子を独自に作り出すため、とりつかれたように実験を始めた。ほぼ1カ月、「接合型トランジスタ」のアイデアを隠しつづけた。
「トランジスタで自分だけの重要な発明をしたいという競争心があった」
だが、バーディーンをはじめチームの研究者たちも同様の研究をスタートしていた。そのうちの一人が土台となる研究について発表したとき、ショックレーは立ち上がってその発表を引き取り、突然、水面下で進めていた自分の研究を明らかにした。
「今度ばかりは、後れをとるわけにいかなかった」
バーディーンとブラッテンはあっけにとられた。ショックレーが新しいアイデアを隠していたこと、ベル研究所の文化でもあった「共有の原則」という文化に反していたことに困惑したのだ。
ショックレーはチームのリーダーとしては不適任者だった
成功したチームは、情熱的であればあるほど、やがて分裂してしまうことが多い。そういうチームをひとつにまとめておくには、特殊なタイプのリーダーが必要だ。
○人を刺激するが、指導力もある
○競争心を持っているが、協力も惜しまない
○上下関係を超えた団結心を育てる力がある。
ショックレーは、こうしたリーダーとは言いがたかった。部下や同僚に対して競争心をあらわにし、秘密主義になったりするタイプなのだ。
上下関係を超えた団結心を育てるという点でも、ショックレーは失格だった。専制的で、部下の独創的なアイデアを押さえつけては意欲をそぐことも少なくなかった。
ブラッテンとバーディーンが大成功を収めたのは、ショックレーがいくつか案を出すだけで、こと細かに管理したり監督しなかったころのことだ。その後、ショックレーはどんどん威圧的になっていった。
バーディーンとブラッテンばかりか経営陣とも衝突したショックレーは、ベル研究所を退職。自分の会社を興すべく、さまざまな資本家、経営者、研究者を訪ねる。
「結局のところ、私ほど賢く情熱的で、人を理解している者は、訪問したなかにもほとんどいないんだ」
部下の忠誠心を駆り立てられる人こそがカリスマ
リーダーのなかには、強情で要求が厳しいにもかかわらず、忠誠心を駆り立てるタイプもいる。そうしたリーダーは大胆な考え方を称賛し、その姿勢がカリスマ性を生む。たとえばスティーブ・ジョブズは、テレビ広告の形をとった自身のマニフェストをこう始めた。
「クレージーな人たちに乾杯。はみ出し者。逆らう者。厄介者。変わり者。ものごとが世間と違って見える者」
アマゾンの創業者ジェフ・ベゾスも、同じように、人を駆りたてる力を持っている。肝心なのは、意欲をあおって使命感を共有し、届かないだろうと思われている目標まで人を引っ張っていくことだ。
ショックレーにはその資質がなかった。身にまとったオーラのおかげで優秀な人材を集めるまではできたが、管理能力がなく、いっしょに働きはじめたとたん、反感を抱かれてしまうのだ。ブラッテンとバーディーンがかつて抱いたように。
彼は「ショックレー半導体研究所」を興し、ほぼ全員が30歳以下という若く優秀な人材を全国から集めた。人望がないのでかつての部下は誰もついてこなかったが、名声があったので、片っ端からリクルートすることに成功したのだ。
新会社でのショックレーは、研究者たちが米国物理学会に提出する論文を書いたときも、特許を出願するときも、自分の名を共同執筆者として掲載するように求めた。にもかかわらず、「どんな装置にも真の発明者はただひとりしかいない」と、矛盾としか思えないことを主張した。
さらに、オーナーでもあるアーノルド・ベックマンとも対立した。コスト削減のミーティングにベックマンが駆け付けた時、ショックレーは幹部陣の前でこう言い放ったのだ。
「アーノルド、我々のやり方が気に入らないんだったら、グループごとほかの会社に移ったっていいんだぞ」
だが、ショックレーより先に去っていったのは、彼の部下たちだった。
「良い人柄+優れた能力=良いリーダー」というウソ
1950年代のアメリカにおいて、安定した会社を飛び出してライバル会社を起業するということはあまりなく、相当な覚悟が必要だった。若い社員ばかりなだけに、「ノーベル賞受賞者にしてカリスマであるリーダーに逆らうのは恐れ多い」という声もあった。
だが、控えめで温和な言動の裏に精緻な頭脳を隠し持った化学者、ゴードン・ムーアは、反乱軍を集める決意をする。そして集まった“8人の反逆者”はショックレー研究所を去り、フェアチャイルドセミコンダクター社を起業する。
“8人の反逆者”の中心となったゴードン・ムーアとロバート・ノイスは、成功を経てフェアチャイルドセミコンダクター社を去り、自分たちの会社を作ろうと再び起業。のちのインテルである。
だが、経営者となったこの二人は、優秀な好人物にもかかわらず、理想的なリーダーとは言えなかった。
ノイスはMITで博士号を取った半導体技術者。学園のヒーローがそのまま成長したような好人物で、人に刺激を与えるカリスマ性があったが、親切で協調性が高いぶん、強い指示ができなかった。
ムーアも似たようなもので、権威を振りかざそうとも人の上に立とうとも思わなかった。
○上下関係や階級を嫌う
○人に嫌われたくないという気持ちが強い
○怒らない、怒れない
○部下を指導しても、せきたてない
○意見の不一致があっても、対立を避ける
これでは理想のリーダーにはなれない。
インテル流「外向きの人・内向きの人・実行する人」
理想のリーダー不在のインテルに登場するのが、アンディ・グローブだ。
グローブはハンガリー・ブダペスト生まれのユダヤ人で、第二次大戦後に亡命。渡米後に独学で英語を身につけ、ニューヨーク市立大学シティーカレッジを経てバークレーで化学工学博士となった苦労人だ。新卒としてフェアチャイルドに入ったが、ムーアを慕って退職。押しかけに近い形でインテルに参加した。やがて彼は実務的な経営者として、会社を動かしていくことになる。
インテルの起業を実現させた元祖ベンチャーキャピタリスト、アーサー・ロックによると、ノイスは「人を感化する力と創業期に会社を売り込む方法を知るビジョナリー」だ。
そしてムーアは新しいテクノロジーが次々と押し寄せるなかで、インテルをパイオニアに仕立てられる人物。ロック曰く「彼は聡明な科学者で、テクノロジーを推し進める術を知っていた」。
最後にたくさんの企業が競合するようになったとき、「ビジネスとして会社をしっかり引っ張っていく現実的な経営者」が必要となり、それがグローブというわけだ。
「外向きの人・内向きの人・実行する人」
グローブはピーター・ドラッカーの『現代の経営』(ダイヤモンド社)を読み、これを自分たちに当てはめた。つまり、3人で理想のリーダーを実現したのだ。
チームを飛躍させるリーダーは「ひとり」とは限らない
ひとりの強力なリーダーという形でなければ、効果的な経営ができないわけではない。異なる才能が正しい組み合わせでトップに立ってもいい。合金のように、元素をうまく組み合わせれば強力になるのだ。
リーダーもまた、チームワークである。インテルの文化はやがて、シリコンバレー一帯に広がっていく。
自分一人で完璧なリーダーになる必要はない。異なる才能の組み合わせが、成功の鍵なのだ。
ウォルター・アイザックソン ジャーナリスト
1952年生まれ。ハーバード大学で歴史と文学の学位を取得後、オックスフォード大学に進んで哲学、政治学、経済学の修士号を取得。英国『サンデー・タイムズ』紙、米国『TIME』誌編集長を経て、2001年にCNNのCEOに就任。ジャーナリストであるとともに伝記作家でもある。2003年よりアスペン研究所特別研究員。テュレーン大学歴史学教授。
㊟な~る程…私はリーダーにはなれるが他は全部ダメ。でもね、今から50数年前に
「空飛ぶ自動車を造れば交通渋滞が解決する」
と口にして、集まっていたジャーナリストとメシを振る舞っていた徳間書店、徳間ジャパンのオーナー、徳間康快に「バカ、そんなもん出来るか!」とバカにされ、仲間たちはゲラゲラ笑っておしまい。
今や、空飛ぶ自動車ができて、しかも無人で飛び始めたじゃないの。。。
テーマ:とっておきの情報いろいろ - ジャンル:ニュース
親分がシャブ田代を何とか、、、
シャブ&田代の名誉ある呼び名に。
「何とかしてやってくれ」 田代まさし“僕の大好きな叔父さん”は住吉会・西口総裁だった
「週刊文春」編集部
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11月6日、覚せい剤を所持していたとして田代まさし容疑者が宮城県警に逮捕された。 8月23日に宮城・塩釜市の宿泊施設で覚せい剤を所持していた疑いも持たれている。何度も薬物逮捕を繰り返す田代だが、面倒を見ていた叔父の存在を報じた「週刊文春」2017年10月5日号の記事を、ここに公開する。(年齢や日付は掲載時のもの)
◆ ◆ ◆
〈僕の大好きな叔父さんが昨夜亡くなられました。僕達兄妹を、おふくろが亡くなって以来自分の子供以上に面倒をみてくださった叔父さん!〉
田代まさし(61)が、ツイッターでそう呟いたのは、9月12日の午後2時頃。
一緒にアップされた「叔父さん」とのツーショット写真に、一部から驚きの声があがった。
◆
金色の仏像を背に、ハットにサングラス姿で右手はサムズアップをしている田代。その左横には、濃紺のジャケットを着た白髪混じりのかなり年嵩の男性が笑顔で写っている。
「この男性は、指定暴力団住吉会トップの西口茂男総裁(享年88)です。田代がツイートした12日の午前2時22分、都内の大学病院で死去しました」(社会部記者)
14日に中野区の斎場で行われた西口家の通夜には、田代も参列した。
「あくまでも家族葬で組関係者は少なかったが、その親族席には目深に帽子をかぶった田代の姿が確認されています」(警察関係者)
冒頭のツイートはこう続く。
〈僕達兄妹は叔父さんの親戚でいれたた(ママ)ことをおふくろの妹である叔母さんに感謝するとともに、叔父さんのことを誇りに思って、これからも生きて行きます。合掌〉
写真の「叔父さん」が誰なのかについて田代本人は明かしていない。
「田代の身内に“大物ヤクザ”がいるらしいという話は長年囁かれていました。ただそれが山口組に次ぐ二番目の規模である住吉会の西口総裁だとは知られていなかった。西口総裁は二度の結婚歴があるそうで、そのどちらかの妻が、田代の亡き実母の妹さんだということです」(前出・記者)
「血縁については口外するな。でも何とかしてやってくれ」
田代は、2000年9月に盗撮で書類送検されたのを皮切りに、01年にはのぞきと覚せい剤、04年には銃刀法違反と覚せい剤、そして10年にはコカインと覚せい剤と計4回の逮捕と二度にわたる実刑を受けた。
3年前に出所し、薬物依存者の更生施設「日本ダルク本部」スタッフとして働きながらリハビリ生活をしている。
2015年3月18日、出所報告会見を行った田代まさし容疑者(右は日本ダルク本部代表、近藤恒夫氏) ©AFLO
「逮捕・服役などを繰り返す田代について西口総裁は『血縁については口外するな。でも何とかしてやってくれ』と内々に組関係者に伝えていた。一度目の懲役に行く前、田代は毎年麻布十番祭りで『マーシーの焼きそば』の屋台をやっていたが、その場所は住吉会の関係先。西口総裁が執行猶予中の田代に仕事を与えていた」(前出・警察関係者)
田代には、父親違いの妹が二人おり、実母が亡くなったのは33年前。ツイッターのツーショット写真はここ2、3年内のものとみられ、その間、叔父である西口総裁が後ろ盾になっていたわけだ。
田代本人に取材を申し込んだが、「この件については取材に応じるつもりはない」とダルクを通じて返答があった。
今になって世間に明らかにした理由は謎のままだ。
㊟名誉なことに今じゃ、チャゲ&飛鳥は消え、シャブ&田代。田代=シャブが代名詞になってまさにブランド?
人生どうするの?と同情しても返事はないだろうな。恐らく、田代の腹の中は『同情するならシャブをくれ!』
コカ4000キロ神戸で
神戸港でコカイン400キロ押収 押収量は過去最多、末端価格80億円相当
神戸新聞NEXT/神戸新聞社 2019/11/07 22:35
神戸市の神戸港で10月、神戸税関などがコンテナから違法薬物のコカイン約400キロ(末端価格約80億円相当)を発見、押収していたことが7日、捜査関係者への取材で分かった。8月に愛知県豊橋市の三河港で見つかった約177キロを上回り、押収量としては過去最多という。
捜査関係者によると、神戸・ポートアイランドでの保安検査でコンテナの中から見つかった。コンテナは南米から複数の港を経由して到着し、他の資材なども積まれていた。
見つかったコカインは、国内で売買するには過去に例のない量であることから、他国で取り出し損ねたものが神戸にたどり着いた可能性もあるという。神戸税関は兵庫県警とも連携し、密輸組織が関与したとみて麻薬取締法違反や関税法違反の疑いで調べている。
コカインはコカの葉から精製され、依存性が極めて高い。幻覚や妄想を引き起こし、最悪の場合は死に至る。コカインに関する事件の摘発者は増加傾向にあり、厚生労働省の統計によると、昨年は217人で過去最多だった。今年は、芸能人やスポーツ選手が使用や所持で有罪判決を受ける事件が相次いだ。
㊟それにしても大量だ。人間は快楽を求めるためには手段を択ばない動物なんですね。大金の元を失った裏社の連中の歯ぎしりを見てみたい。
悪弁護士に呆れた!!
横領容疑で弁護士逮捕=和解金180万円着服―大阪府警
JIJI.COM11/6(水) 23:47配信
依頼人に渡すべき民事訴訟の和解金180万円を着服したとして、大阪府警捜査2課などは6日、業務上横領容疑で弁護士鈴木敬一容疑者(68)=住居不定=を逮捕した。
容疑をおおむね認めているという。
逮捕容疑は2016年6月下旬、大阪市の30代会社員男性から依頼を受けた元勤務先に対する残業代請求訴訟で、解決金として受け取った現金180万円を着服して横領した疑い。和解は依頼人の承諾を得ずに行われていたという。
府警によると、同様の被害相談が他に3件(被害金額計800万円)寄せられており、同課が関連を詳しく調べる。
㊟悪い弁護士が増えているのは報道で知っているが、まさか依頼人の許可も取らないで勝手に示談し、たかだか180万円を着服とは。。。そのうち生活保護受ける弁護士も登場するかも。。。