大拡散!!地球が滅ぶ近い!?
地球が滅ぶ近い!?
地球規模の超巨大地震と超巨大津波が!?
高さ23.8メートル、南半球史上最大の大波を観測
AFP
2018年5月11日 17:42 発信地:ウェリントン/ニュージーランド
【5月11日 AFP】ニュージーランドの南方700キロにあるキャンベル島(Campbell Island)付近の南極海で8日、研究者らが南半球史上最大の23.8メートルの大波を観測した。ビルで言えば地上8階の高さに相当する。
研究機関「メットオーシャン・ソリューションズ(MetOcean Solutions)」によると、8日に同海域で猛烈な嵐が発生し、ブイが大波を観測した。
海洋学者のトム・デュラント(Tom Durrant)氏によれば、今回の大波はこれまで南半球で観測された中で最大だった2012年の22.03メートルを更新したという。
同氏は「私たちが知っている限りでは、これまで南半球で観測された波のなかで最も大きい」と述べ、南極海は地球を横断する大波をつくり出す「エンジンルーム」であるとした。
「この嵐から発生するエネルギーが、およそ1週間にはカリフォルニアのサーファーたちの所に届くでしょう」
同氏はさらに、8日に同海域を東へ抜けた嵐によって、さらに大きな25メートル超の波も複数発生したと考えられるが、それらを観測するのに最適な場所にはブイが設置されていなかったと述べた。(c)AFP
㊟今月中に空海の第二の恐怖の予言を配信する予定ですが、その予言を裏付けるような記事です。空海は夢枕で、
「人間は自ら墓穴を掘った。地球を壊し宇宙まで汚し…近いうち地球全土で想像を絶する・・・」
と。
貴様ら許さん!!ゴキブリ人に保険証だと!!
外国人に保険証を誤交付 医療費3千万円支給、広島
産経新聞
広島市は9日、国民健康保険に加入する資格のない外国人の男女計7人に対し、誤って保険証を交付していたと発表した。これまでに支給した医療費計約3780万円全額の返還を求めるとしている。
市保険年金課によると、在留資格が医療目的の外国人には、国保加入が認められていない。しかし平成24年の住民基本台帳法改正で、医療目的の外国人も3カ月を超えて在留して住所を持てば住民票が作成されるようになったため、
市の担当者が国保にも加入できると勘違いし、中国やロシア、ウクライナ国籍の資格のない7人に保険証を交付した。
広島入国管理局の指摘を受けて明らかになった。24年7月~27年4月、1人当たり26万~1849万円の医療費を誤って給付していた。現在も広島市に居住している中国籍の2人以外は既に帰国しているため、在日大使館に協力を要請する方針。
㊟貴様らぶッ弛んでいる!担当は上司に相談しなかったのか?上司も勘違いして許可したのか。このゴミどもは金など返すはずないだろ!職員全員の給料(税金)から差し引け!!そうすれば身に染みて判る筈。
これで読めた!!機密費は「ガッカリ会」本部大幹部に渡されていた!?
これで読めた!!機密費は「ガッカリ会」本部大幹部に渡されていた!?
――学会の衰退は日蓮でなく大作を拝んだ天罰¡――全国の文化会館祭壇下金庫内の金の延べ棒を誰が?
創価学会「極秘資料」が暴く負の歴史
そこには「反戦・平和の団体」とはかけ離れた事実が記されていた
創価学会における絶対権力の空白は早8年に及ぼうとしている。半世紀以上にわたり巨大教団を率いてきた池田大作名誉会長は1月に卒寿を迎えたが、年に数回、『聖教新聞』に近影が掲載されるだけで、公の前に姿を見せなくなって久しい。2010年5月の本部幹部会の後、脳梗塞で倒れたというのが定説だ。
大小様々な本部施設が蝟集する東京・信濃町の真ん中にひっそりと佇む第二別館にほぼ籠もりきりとされる。
一枚岩だったはずの組織に……
この間、原田稔会長以下の集団指導体制により教団の運営は滞りなく行われてきたかに見える。が、カリスマ指導者の重石がなくなれば必然のこと、一皮剥けば、信濃町の内部では次期会長の座を巡る暗闘が繰り広げられ、一枚岩だったはずの組織に動揺を来しているのが実際だ。
「谷川佳樹主任副会長のラインが巻き返しに出たのかもしれない」
1月下旬、ある本部人事が各方面を駆け巡り、憶測を呼んだ。副会長の岡部高弘氏が広報室長を突如外され、聖教新聞広告局の閑職に追いやられたのだ。遠因として囁かれているのは昨年9月の『週刊文春』記事である。報じられたのは復興副大臣も務める長沢広明・公明党参院議員の女性スキャンダルだった。組織政党にとって所属議員は単なる駒にすぎない。本人は雑誌発売前に早々と議員辞職した。
会長の権限はそれほど強くない
創価学会・公明党にとって重大な意味を持っていたのは、長沢氏が佐藤浩副会長の一の子分で知られていたことである。“佐藤氏は菅義偉官房長官”と太いパイプを持つことで有名。
信濃町の勢力図においては、事務総長として本部機構を取り仕切り次期会長候補の最右翼とされる谷川氏や、その後見人で隠然たる力を持つ弁護士グループのトップにある八尋頼雄副会長、前会長で最高指導会議議長を務める秋谷栄之助氏らとともに主流派と目されてきた。政治的には自公連立路線の旗振り役だ。
現在の学会においては「会長の権限はそれほど強くない」(元本部職員)とされ、それがため主流派こそが組織を動かしてきたと言われる。記事は内部告発がなければ知り得ない内容だったが、その追及は長沢氏よりむしろ政治担当として絶大な影響力を握り続ける佐藤氏に向いていた観があった。
そこで佐藤氏ら主流派が岡部氏の更迭に動いたというのが一つの見立てである。怒りの矛先が岡部氏に向かった理由は今ひとつ分からないが、もともと両者の折り合いは悪かったとも言われる。
後任の広報室長となった長野祐樹氏は長く神奈川担当の副会長を務めこれまで広報とは無縁だが、佐藤氏と極めて近いことで知られる。そのことも更迭人事が主流派の強い意向によって行われたと見られる理由となっている。
そして、さらにその背後にあるのが次期会長の座を巡る谷川氏と萩本直樹主任副会長との神経戦とも言える綱引きだ。創価学会には200人以上の副会長がいるとされるが、15年に新設された主任副会長ポストは8人に限られる。谷川、萩本両氏はその中でも一歩抜け出た。萩本氏の後見役は原田会長とされる。
スキャンダル記事は主流派を牽制するものだっただけに、萩本氏を利するところがあった。おまけに年が明けた1月7日付の人事は両者の形勢逆転をも思わせるもの。谷川氏が壮年部長に回ったのに対し、萩本氏がそれより遥かに格上の総東京長となったからだ。そうしたこともあり、岡部氏の更迭人事は谷川氏ら主流派による主導権奪還の意味合いも見え隠れしていたのである。
学会の「影の会長」
次期会長レースに対し中立派と見られていた原田氏がにわかに萩本氏を後押ししだしたのは15年秋、ある暗闘劇が幕引きとなった前後からと見られている。それまで学会内で繰り広げられたのは谷川氏ら主流派と「創価大学卒のプリンス」と謳われた理事長の正木正明氏を担ぐグループとの対立だった。それが頂点に達したのは信濃町に新たなシンボル施設「広宣流布大誓堂」が完成した13年のことだ。
「全部、見られているぞ! 恥知らず! バカ者!」
谷川氏や佐藤氏らを中傷するそんな怪文書が撒かれたかと思えば、ある主流派の副会長に対するこんな告発文書がマスコミに持ち込まれた。
「学会の『影の会長』であり……権力を好き放題に使っている人間であることに気づいてください」
文書が告発するのは蓄財疑惑だった。不正とまでは認められないものの、そこで指摘された不動産に関する情報はじつに正確で、よほどの関係者しか知り得ないものだった。
Xデー後の学会分裂などあり得ない
しかし、もともと非力な正木グループは13年暮れから一人また一人と信濃町の要職から外されていく。その後も主流派の教学方針に反発する2通りの内部告発文書が流出したりしたが、結局、肝心要の正木氏は15年11月、体調不良を理由に理事長から参議会副議長という名ばかり職に更迭、完全に失脚することとなった。かわりに原田氏が権力への執着を見せ始め、萩本氏への禅譲に傾いていったという流れである。
現在の会長任期は来年11月に切れる。池田氏のXデーを横目に見ながら次期会長の座を巡る組織内の不協和音や動揺はなお続くことだろう。ただ、誰が次期会長になろうとも間違いなく言えることがある。それは池田氏にかわり独力で巨大教団を統率できるような人物はもはや見当たらないということである。
高等教育をろくに受けていない一方で32歳の若さにして会長となった池田氏の人間的迫力を谷川氏や萩本氏に求めることは到底無理な話だ。2人とも東京大学卒で、谷川氏は三菱商事を経て、萩本氏は新卒で本部職員となった。リクルーター役を務めていたのがやはり東大卒の原田氏だった。学歴エリートの宗教官僚にカリスマ性などあるはずもない。皮肉な逆説だが、巷間囁かれるXデー後の学会分裂などあり得ない。それほどの人物はいないのだ。
都合の悪いものは闇に
では、今後の集団指導体制は何を拠り所に組織をまとめ上げていくことができるのか。創価学会はもともと日蓮正宗の在家信徒団体だったが、1990年代に宗門と決別したため、その信仰を学会員の求心力とすることはもはやない。
それにかわるものを学会が何に求めようとしているのか知ることができる格好の内部資料がある。08年6月に外資系コンサルティング会社のアクセンチュアが学会の内部組織「ビジョン会議」に宛てた提案資料がそれだ。
当時、学会は谷川氏の主導によりアクセンチュアのコンサルタントを大量に動員して外郭企業の統廃合や人員削減といった法人改革を進めていた。宗教団体がコンサル会社を起用するとは前代未聞だが、件(くだん)の提案資料はその中心活動である広宣(=布教)領域にも踏み込むものだった。
「リソース」や「コンテンツ」など営利企業と見まがうようなカタカナ用語が多用される中、そこには仏教用語はかけらも見られない。提案資料が広宣事業の中核となる「会の価値」に据えたのは「3代会長の思想・行動」だった。
初代会長の牧口常三郎(1871~1944年)から第2代会長の戸田城聖(1900~1958年)を経て池田氏へと至る「3代会長」を、学会は02年の会則改正で「永遠の指導者」と定めた。この日蓮正宗から離れ3代会長を「神格化」「偶像化」する動きは14年から毎年のように続くさらなる改正で強められている。
今や学会員は3代会長を「先生」との敬称で呼び、毎日の勤行では「報恩感謝」を捧げることが求められている。そして3代会長がそうであったとされるように「師弟不二の精神」により弟子は師匠を未来永劫守っていくのである。組織にとりじつに都合のいい理屈だ。
「歴史を歪める資料」は却下される
アクセンチュアの提案資料はそうした3代会長の事績を新聞・雑誌やインターネット、展示イベントなど様々な経路を通じて学会員や社会に送り届けることを現代の広宣流布と位置づけていた。そして、そのためのアーカイブ事業を確立することが取り組むべき大きな眼目とされた。
ただ、そこには巧妙な仕掛けも用意される。「永遠の規範」や「歴史の証明」となるアーカイブ資料は「正当性を担保する仕組み」として認定委員会の承認を経なければならず、そこでは「歴史を歪める資料」は却下されるのである。要は都合の悪いものは闇に葬るわけだ。
創価学会のコンサルタントを請け負ったアクセンチュア ©iStock.com
今日、創価学会は「反戦・平和の団体」を標榜し、世間からもそう見られることが多い。そこで象徴的に語られるのは前身の創価教育学会が治安維持法違反・不敬罪により特高警察の弾圧を受け、初代会長の牧口が巣鴨拘置所で獄死した事実である。創価学会はそれらを軍部政府と対決した末のこととしている。
しかし、歴史的事実は大きく異なる。当時の創価教育学会の実像を赤裸々に記録した戦前・戦時中の機関紙誌がある。35年7月から約1年間発行された『新教』と41年7月から1年弱続いた『価値創造』だが、創価大学はじめどの図書館にも所蔵はない。学会は都合のいいごく一部分のみ公にしあとは封印してしまっている。「歴史を歪める資料」とみなしているからだ。
知られざる歴史をつぶさに調べ上げた
高橋氏の新著『創価学会秘史』
筆者は現存が確認されている『新教』の大半と『価値創造』のすべてのそれぞれコピーを入手した上で30年代から50年代初頭にかけての知られざる歴史をつぶさに調べ上げ、先頃、『創価学会秘史』(講談社刊)という単行本にまとめた。詳しくはそれに譲るとして、当時の学会の実像は次のようなものだ。
57歳を目前にして日蓮正宗と出会った小学校校長の牧口は30年11月に教育書『創価教育学体系』の第一巻を出す。資金面で支えたのが元部下で補習塾の経営者に転じていた29歳年下の戸田だった。この時が創価学会の創立とされているが、実際のところ、組織的な活動はその後しばらくは見られない。
4年余り後、日蓮正宗と教育論の融合を唱える牧口の下に若者が集まり始め、創価教育学会は組織の相貌を現していく。活動の先頭に立っていたのはかつて左翼運動に身を投じ、「長野県小学校教員赤化事件」と呼ばれた一大弾圧で投獄後に転向していた元教員たちだった。
その頃、国は転向政策に力を入れ始めていた。思想犯保護施設を整備し、知識水準が高い左翼活動家たちの思想善導を推し進め、戦時体制に組み込んでいくわけだ。そこで利害が一致したのが牧口ら創価教育学会だった。失意の底にある元赤化教員たちは新たな信者を獲得する折伏(しやくぶく)の対象としてうってつけだったのである。
このため牧口らは特高警察やその元締めである内務省警保局、さらには共産党取り締まりに辣腕を揮い転向政策の仕掛け人でもあった大物思想検事の平田勲らと緊密に連絡を取り合っていた。折伏要員を長野県に派遣する際には東京の治安当局に地元での手配を依頼し、そのおかげで20代半ばの若者一人に対し特高課長や思想検事、教育当局者らが勢揃いで応対する歓待ぶりだった。
牧口は天皇中心の国体観念を支持していたし、中国大陸への拡張政策にも反対はしていなかった。満州事変後に入植した初期の会員に対しては最大限のエールを送っていた。
「わが国は大東亜戦争完遂、世界新秩序建設のために、1億国民血みどろになって、獅子奮迅の勇猛戦を行っている」などと、太平洋戦争が始まると幹部からは戦争翼賛的な発言が次々と飛び出した。『価値創造』はヒトラーの『我が闘争』の紹介に大きく紙面を割いてもいた。
兵器産業に乗り出そうとすら企てた
その頃、現世利益を強調する折伏に舵を切っていた創価教育学会には出版業を中心に中小企業経営者が多く集まるようになっていた。彼らは戦争文学で儲け、それを信心の功徳と感じ、営業成績を競い合っていた。
戸田はその最たるもので、40年に創刊した小学生向け雑誌『小国民日本』では海軍特集を組み、少年航空兵の募集に一役買っていた。さらに戸田は会員が個人経営するレンズ工場を買い取り、兵器産業に乗り出そうとすら企てた。
それでも創価教育学会が弾圧を受けたのは他の宗教・宗派を「邪宗」として認めない日蓮正宗の原理主義が行き過ぎたからだ。牧口は「取払え」と称して伊勢神宮の大麻(おおぬさ)などを撤去して焼却することを会員に行わせていた。天皇も含め国を挙げて日蓮正宗に帰依すべきとの牧口の考えは国家神道とは相容れず、それがため投獄されたのが実相だ。決して反戦・平和を唱えたからではない。
創価教育学会に集った元赤化教員の何人かはその後、出征して戦地で命を落としている。牧口や戸田はそうした事実にまったく関心を払わなかった。戸田は終戦直後に中国で戦病死した元赤化教員の一人に関し「信心が足りないからあえなく死んだ」との趣旨の発言を戦後間もない頃の座談会で言い放っていた。
表の正論と裏の謀略
戦後、事業に失敗した戸田は軍隊式組織論を導入して折伏を大々的に行い、学会組織は急角度で拡大していった。宗門の反対を押し切り宗教法人化を目指す中、池田氏ら青年部メンバーは宗門の老僧を暴力的に吊し上げる事件を52年に起こした。創価学会の傍若無人な組織力を前に宗門はもはやなす術がなかった。
じつのところ創価学会が大々的に「反戦・平和の団体」を標榜したのは池田氏の会長就任からちょうど10年が経った70年以降のことだ。折伏至上主義で「貧・病・争」に悩む社会の下層を取り込み組織を膨張させてきた学会はその年前半、批判を力ずくで押さえようと言論出版妨害事件を引き起こし、激しい社会的反発を招いていた。そこでとったのが学生やインテリ層も取り込もうとするソフト路線だった。すでに過去の人となっていた牧口の獄死を反戦・平和の象徴的出来事にすり替え、かわりに真実を封印したのである。
学園紛争が吹き荒れていた前年、創価学会は日共系でも反日共系でもない第3の道として学生部を母体に新学生同盟を組織化していた。68年に入信し学会の東大総合委員長も務めた元公明党参院議員の福本潤一氏によると、「その頃は折伏戦ばかりで、全共闘から入ってくる人もいたけど定着しなかった」という。
ただ、その後のプロパガンダは成功した。核兵器廃絶など平和運動が一定の実績を積んでいったのも確かだ。池田氏は72年に行われた歴史学者トインビーとの対話を皮切りに中国の周恩来など各国要人との会談を次々実現して海外進出を進めたが、その際、「反戦・平和の団体」との表看板は大いにものを言った。
しかし、創価学会が真に過去から連綿と受け継いできたのは独善的で閉鎖的、そして不寛容な組織体質だ。そして、いつ何時も最優先されるのは組織の維持拡大である。
前出の福本氏はそうした創価学会の二面性を「表の正論と裏の謀略」と表現する。平和運動を声高に叫び始めたかたわら、学生部の精鋭メンバーは70年代前半、敵対関係にあった共産党の委員長宅などの盗聴を繰り返し、偽装入信させたスパイをライバル教団に潜入させたりもした。
90年に始まった日蓮正宗との宗門戦争でも盗聴や尾行は秘密部隊である創価班広宣部を中心に広く行われていたことが知られる。「情報収集のためのゴミ漁りや深夜の団地での匿名ビラのばらまきなど何でもやりましたよ」と、元広宣部員は当時を語る。ただ、大方の一般会員はそんな実態を知らされない。
本部執行部に対する不満が燻っている
宗門戦争が一巡した00年代以降、創価学会における信仰の中心は急速に選挙活動が占めていくようになる。とはいえ、大黒柱である婦人部がとりわけそうだが、会員はおしなべて政策に無関心。「池田先生がつくった公明党が間違えることはない」(別の元本部職員)という思考停止による集票活動は国政選挙で全国700万票以上を獲得してきた。
それでも半世紀近く「表の正論」を注入されてきた会員の中には反戦・平和こそが池田氏始め3代会長の真意と信じ込む急進者が少なくない。国会議事堂前で安保法案反対の大規模デモが毎週末行われた15年夏、公明党の法案容認方針をよそに少数の学会員の姿がそこにはあった。戦前の実像を教えられていない彼らは学会の三色旗とともに牧口の肖像を掲げ、法案反対を叫んでいた。じつにパラドキシカルな光景だ。
池田氏が公に姿を現さないこともあり、ある意味で純粋な急進者の間では今日、自公連立路線を推し進める主流派牛耳るところの本部執行部に対する不満が燻っている。
「足軽会」なる「組織内組織」を作ったとして12年に懲戒解雇された若手の元本部職員3人を中心とするグループのように、信濃町で無言の抗議デモを行うなど公然と批判活動に出る者も現れた。異論を許さない本部執行部はそうした不満分子をあぶり出そうと15年頃から査問に血道を上げている。その結果、除名や会館への出入り禁止といった懲戒処分が次々下っている殺伐たる情況だ。
昨年12月、ノルウェーのオスロで行われたノーベル平和賞の授与式。受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の関係者とともに創価学会の寺崎広嗣副会長が現地で記者会見を行った。スイス・ジュネーブに事務局を置くICANが発足した07年以来、創価学会の海外部門であるSGI(創価学会インタナショナル)は国際パートナーの一角として活動を支援してきた。
創価学会にとってまたとない国際的な宣伝の機会であり、「反戦・平和の団体」を信じ込む国内の学会員に向けては批判を宥める何物にも代えがたい好機と言えた。が、これまで述べてきた実態を知る者の目からすると白々しい思いしか催さない。
海外に活路を求める
創価学会は昨年9月、それまで対等の立場としていたSGI組織を日本の本部の下に置くことを定めた「会憲」を制定した。これにより信濃町は各国組織に対するヒト・モノ・カネの統制を強力に進めると見られる。もはや国内で折伏の余地はなく、逆に高齢化が急速に進む組織は下り坂を転げ落ちようとしている。
昨年10月の総選挙で公明党は全国で700万票を切る惨敗を喫したが、これは「F票」(会員外の得票)のリベラル層が立憲民主党に流れたというより、組織の弱体化を反映したものと見た方が正解だろう。
公明党本部 ©時事通信社
斜陽の国内に見切りをつけ海外に活路を求めるのが、今の創価学会の戦略であり、会憲はそのための布石だ。日蓮正宗と決別した直後、創価学会は「日蓮世界宗」を商標登録し、世界宗教へ脱皮する構想を温めてきた。すでに会則の前文でその名を謳っており、いよいよ正式な旗揚げが近いと見られる。
先述の大誓堂は「世界広宣流布の……中心道場」とされており、さながらイスラム教のメッカのような位置づけだ。将来そこに安置されるのは池田氏を始め3代会長の神格化された偶像なのかもしれない。とすれば、ソビエト共産党のレーニン廟がごときである。
しかし、過去を封印して都合良く歴史を語り、異論を一切許さない不寛容な組織が設(しつら)えた無味乾燥な聖地をありがたがって巡礼に訪れる人々がこの先どれだけいるというのだろうか。誰が次期会長になろうが、組織の求心力は低下していくだろう。選挙活動に明け暮れる仏教と個人崇拝のパッチワークのような巨大教団は、すでに崩れ落ち始めている。
㊟学会の衰退に伴うように内部権力闘争が激しくなったのは『大作を拝めば宝くじが当たる』と言われたのに、一度も当たらず、しかも大作ちゃんがモノ言えないから。本当は富士の山裾に墓を作るべきなのにそれをしない。骨を何処で処分したのか?
この配信記事を読んで分かったことは、あの機密費が学会幹部に渡され、そこから各候補に流れていることだ。相当以前だが、筆者が何人かの公明党議員と会って知ったことは、議員など本部の僕(しもべ)、小間使いでしかないということ。これには驚いた。自称「山口のなっちゃん」など明日にでもクビにするんだから凄い。
権力闘争がますます激しくなる理由は、怖い大作さんが居なくなり自由気ままな大幹部らが狙うのは、全国の学会文化会館内の祭壇の下の“巨大金庫に隠されている金の延べ棒”だろう。
会館の祭壇下金庫に金の延べ棒がびっしり入っていることを耳うちされた時も驚いた。あの時、学会員になって幹部にのし上がり、金の延べ棒全部懐に入れりゃ、今頃は兆万長者で大作さん真似て酒池肉林生活ができていたのに、と後悔している。
国民的人気を得ていた田中角栄元総理は、池田駄作氏と会談後、
「(池田は)法華経を唱えるヒトラーだ!」
と表現した。さずが田中角栄である。
皇帝狙いの腐れパンダ顔の醜キンピラ、人気集め粛清(殺し)またやり出した!!
【真・人民日報】農村に移行した「反腐敗キャンペーン」 176億円収賄の副市長が死刑
夕刊フジ
19大(中国共産党第19期全国代表大会)から13期全国人民代表大会(全人代)を経て、日本で報じられる中国の話題は、もっぱら習近平“独裁”に向けられているようだ。
だが、中国国内では相変わらず「反腐敗キャンペーン」の報道があふれている。
習近平政権を代表する政策であれば、当然のことかもしれない。そんなわけでこの連載でも久しぶりに全国を賑わした腐敗官僚について扱ってみたい。
目下の話題は、規律検査の厳しい目が、どこに向けられているか、であろう。
実は、その答えは、農村である。
3月10日には、党中央規律検査委員会監察部が運営するサイトに、最近、規律検査対象になった20件のケースを公開しているが、そのほとんどが農村の幹部の腐敗であることが話題となった。
これは中央官庁や国有企業、地方政府に対する規律検査が一段落したことを意味していて、いよいよ「ハエ狩り」の現場が農村に移行したという特徴を示している。
それぞれ問題となった収賄額では、3万元(約51万円)とか5万元(約85万円)という少額なものが目立ち、なかには「メス豚を贈った」などというケースもあって、何とも迫力を欠いた。
これを見ても反腐敗で国民の熱狂をつなぎとめることが簡単ではないことは理解できる。
そんななか、やはりというか、合点のいく腐敗官僚の問題がメディアを賑わせた。
収賄などの罪で裁かれた元山西省呂梁市の副市長であった張中生のケース。
収賄額は、なんと10億4000万元(約176億8000万円)というから驚きである。
呂梁市は人口約380万人を抱える大きな都市だが、GDPで見れば山西省でも8番目の規模でしかない。
その都市の、しかも副市長という立場でいったいどうしてこんな巨額の賄賂を得ることができるのか。もちろん176億円を一度に手にしたわけではない。
最初の収賄は1997年で、張が山西省の県長であった時代に始まったという。176億円というのは、2013年までに積みあげられた総計だという。
それにしても7年間で176億円であれば、年間にならせば25億円ということになる。米メジャーリーグの選手でも、なかなか手にすることはできない金額ではなかろうか。
全国民の怒りの声が聞こえてきそうだが、判決はもちろん死刑。全人代閉幕後の第1号だった。
といっても張は今年で66歳。人々は何とも複雑だ。
■富坂聰(とみさか・さとし)
㊟筆者、渡邉正次郎が日本共産党の抹殺リストに入れられたのは1974年。三年ほど前、ゴキブリ国の粛清リストに入れられたようだ。判る判る。
「ゴキブリが二本足で歩くのはおかしいだろ」、「ゴキブリが松坂牛を喰うな」「ゴキブリがゴルフをするか?バカ」と書き続け、「ゴキブリは糞尿まみれ!」などと連日書いているんだもの。怒りも爆発するよ。でも事実だからね、
ま、これが先進国で世界制覇の野望を着々と進めるゴキブリ醜の実態です。もしかすると醜キンピラはイケメン筆者に焼き餅焼いてる?と思いたい。
泥棒がいる広島県警って“仁義なき闘い」を地で行ってるぞ!!
広島県警8572万円盗難から1年 「迷宮入り」が現実味の理由
日刊ゲンダイ
警察の「威信」を懸けた大捜査も「空振り」のまま。投入した捜査員は延べ2万8000人に上るという。詐欺事件の証拠品として、広島県警広島中央署(広島市中区)の金庫に保管していた現金8572万円が盗まれた事件が発覚してから、8日で丸1年。依然として現金の行方や犯人はおろか、有力な手掛かりすら見つかっていないという。
昨年5月8日午後8時ごろ、当時の会計課長が金庫のカギを入れていたデスクの引き出しの鍵穴が壊されているのに気づき、金庫を確認したところ、現金がなくなっていた。金庫は一般人が立ち入りできない署内1階一番奥の会計課にあり、現金は封筒などに小分けにしてあった。
「会計課長が『5月2日の時点で引き出しに異常はなかった』と話したことから、当初、3日から7日の犯行とみられていた。しかし、昨年3月15日に複数の捜査員が現金を見たのを最後に約2カ月間確認しておらず、保管中、一度も全額があるのか数えられていないことも判明した。盗まれた時期を特定できず、聞き取り対象者が大幅に増えたため、捜査は困難を極めた」(捜査事情通)
県警はこれまで当時の署員やOBら約600人を事情聴取。身内をうそ発見器にかけ、銀行口座など約5万件を照会した。
「金庫は差し込み式とダイヤル式で二重にカギがかかり、キーの保管場所とダイヤル番号は一部署員しか知らない。その上、会計課の金庫に多額の現金があることを認識していたのは、捜査に関わった生活安全課と会計課の一部署員のみ。すべてを知り得る立場の署員は限られている。しかも金庫付近からは、署員や警察関係者の指紋や足跡しか見つかっていない。何よりこれだけ街中に防犯カメラが設置されているというのに、会計課やその出入り口に防犯カメラがなかった。まさか警察署内にドロボーが入るとは思わないから、警備は手薄だった。それらの事情をすべて知った上で犯行に及んでいる」(前出の捜査事情通)
ズサンな管理体制はそれだけではない。3月下旬の人事異動で、規定通り証拠品を確認せずに引き継ぎを済ませていたことも分かった。
「何より、当時在任中だった名和振平本部長が今年1月15日の退任会見まで、事件発生後、一度も会見に応じなかった。その理由として『会見すれば状況を詳しく説明しなければならず、捜査が困難になると思った』ということでしたから。しかも誰一人責任を取らされていない。どれだけ事件を重く受け止めているのか、疑問です。このまま現金が戻ってこなければ、被害者に税金で返金することになるかもしれないのですから」(前出の捜査事情通)
いっそのこと、他の県警に捜査を任せた方がいいのではないか。
㊟今後広島県警はどうする?泥棒が泥棒捕まえるなんて悪い冗談になるから今後、泥棒は捕まえない方いいよ。あ、俺も広島県警の警官応募にしよう。
まさかとは思うが偉い偉い人が盗んだなんてことないよね。まるで東映映画の“仁義なき戦い”を現代に見るような。。。盗んだ金で広島名産のカキ喰って死ね!