“五„さん、投稿ありがとう。徳之島の凄い話を・・・
徳之島って産業がないから政争が激しくて大変なとこなんです。奄美も激烈ですが。
相当前になりますが、教え子を通じて親しくなっていた徳之島出身の内装業社長になっていた男から、
「先生、時間を取っていただいて徳之島に行っていただけませんか」
と。
「何だ、それ?日当20万円出すなら行く」
「もちろんご用意します」
数日後、その彼と鹿児島空港乗り換え飛行機で徳之島へ。
私を待ち構えていた数人が集まる小料理屋に。鬼のようなイケメン私が上座に腰を下ろすと、早速、教え子の友人が、
「先生、ここにいる人たちはこの間の町長選挙で負けて仕事がなくなったんです。なんとかなりませんか」
だ。
しばらく考えた私は、
「そうだな。今後四年間は仕事はないな。どうしても欲しいのか?」
全員が、
「ハイ」
「なら、今度当選した町長を攫って埋めてしまえ。それ以外ないだろ」
全員が絶句。目が点。
この後がまた呆れた。
「先生の泊まるとこどこにしようか…あそこは敵、あそこも敵…そうだあそこならウチ派だ」
で漸く泊り。
翌日、島内を案内しながら、
「あそこはウチの仕事です。あそこもウチです」
と波打ち際の土木工事の後を指さしている。指さすところは真新しい。ふと気がついた。
「お前たち、仕事がないからって政府の補助金目当てで造った港や護岸を壊してはまた造ってんだな」
「まあまあ先生、だってそれ以外ないんですから」
と反省はまったくなし。
やがて、徳之島空港まで送ってきた教え子の友人が、
「先生、夕べお渡しした封筒見せてください」
何も考えずに懐の封筒を渡し、返した封筒をそのまま懐に入れた。
そして鹿児島から羽田に向かう機内で封筒の金を財布に入れ替えようとして数えると、18万円しかない。あの野郎、2万円抜きやがった。賢いというか、私がバカなのか。
その後も東京に帰ってからも平気で電話で「先生、飲みましょうよ」と。怒りもしなかった。
これが私の悪いところ。騙されても怒りもしない。こんな性格は台東区一の資産家の一人息子で、私が物心つく頃全財産を失っていた父親そっくり。おカネにも物にも欲がまったくない。
これではダメなんです。物欲、金銭欲を持たないと溜まらないんです。読者は勉強になりましたか?
お詫び、本日の記事一部訂正!
本文中の小峰柳多議員の、
「渡邊君、君は今度の総裁選、誰が勝つと思う?」
の部分、一部訂正しました。
「今回は田中角栄先生が一回譲ると思います」
に、小峰議員が、
「いや、田中角栄は勝負に出た」
が正しいです。ごめんなさい。
「83歳になって田中角栄の凄さが解った」と慎太郎。あんたバカか?だからロクなせがれしか居ないんだ。私は20代後半で偉大さを見抜いた!
「渡邊君、君は今度の総裁選、誰が勝つと思う?」
と聞いて来たのだ。何人もの先輩秘書に訊ねずにだ(これは私が『オリコン』で君臨し、売れる曲、売れない曲を見抜く能力が音楽業界一と知っていたためのようだ。)。
素直な育ちをしている私は、
「今回は田中角栄先生が一回譲ると思います」
が、小峰議員は、
「いや、田中角栄が勝負に出た」
即座に私は、
「あ、福田派の小峰議員も田中角栄に抱き込まれた」
と直感。
この後が私の悪い癖の一言が出た。その言葉、
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「福田先生は貧乏神の顔をしています。世の中の景気が悪くなります」
だった。
目を点にして絶句した小峰議員は後の言葉はなかった。
案の定、田中角栄氏が総理に就任と同時に、日本国中活気にあふれ、新聞、テレビも「今太閤!」「豊臣秀吉だ!」と拍手喝さいを贈った。
私の直感が的中し、福田赳夫氏が総理に就任した1976年から1978年、日本は不況に陥ったのだ。
ま、これで止めよう。20代後半で田中区角栄の偉大さ、抜きん出た政治家だと私は見抜いた。それが自分では大物ぶっている石原慎太郎が「83歳にして田中角栄の凄さを解った」とは。
馬鹿は親にはバカな子しか…トビは鷹を生まないんです。慎太郎さん。あなたは私より年上だから“さん”にしました。
くだらない本を売るより、オウム真理教に資金提供していたことを懺悔すべきじゃないんですか?それと四男があなたたち家族を嫌い、オウムに出家していたことも認めるべきでしょう。
でないと、あなたはもうすぐ地獄行きなんですから、馬鹿四人兄弟で遺産争いが始まりますよ。そうだ。兄弟の殺し合いが見たいな。
「83歳になって田中角栄の凄さが解った」と慎太郎。あんたバカか?だからロクなせがれしか居ないんだ。私は20代後半で偉大さを見抜いた! »