特報!!「先生、身元を引き受けていただけませんでしょうか?」、逮捕の夜、携帯電話にオウム真理教・上祐史浩。が、あの恐怖の「地下鉄サリン事件」に私自身が巻き込まれる寸前だったのだ
世界を震撼させたオウムの地下鉄サリン事件から3月で20年になる。もうそんな年数が経っているのか…ここに述べることは初めて口にするのだが。。。読者も驚くだろう。時間が違えば、私も霞が関で猛毒サリンの犠牲になっていた可能性さえあったのだ。
その私がその後、彼の本を書くためインタビューを重ねるうち(現アーレフの荒木浩も一緒に)、約束の時間が30分、Ⅰ時間とオーバーするようになっていった。
彼は私を面白い男と思い始めたのか、警察筋や公安関係者等から政界にも力のある男、利用できるかと計算したのか判らないが、会うごとに信頼が深まって行ったようだ。
初対面での私の第一声にも衝撃を受けたようだ。
『上祐君、君たちは国家転覆を狙ったんだろ? 馬鹿なことをしたな。私も学生の頃、機関銃持って国会に乗り込み、国会議員を皆殺しにしたいと思ったことがある』
に上祐は呆然として私を見ていた。絶句したようだ。
そして信頼関係が深まった頃、
「君たちの目に見えない行動が国民に恐怖を与え続けている。まず、女性誌のインタビューを受けなさい」
と、全マスコミの取材を受け付けなくなっていた上祐を説得。
そして『週刊女性』の阿蘇品蔵副編集長と出向いた日、「副部長の荒木浩です」と眼鏡をかけたハンサムな若者を紹介した。
この後、その荒木にも聞かせるように私は、
「史浩くん(この頃には上祐を近所の伯父さんのように呼んでいた)。私も色んな宗教を見てきた。結果、人間は自分の人生の目標を決めたら、それを念じて、念じて、念じて、念じ続けることなんだ。“念ずれば通ず、信念岩をも通す〟という言葉そこから生まれたんじゃないか?」
途端に上祐が、
「先生、それっ、≪ここからブロマガ『課金記事』を購読するをクリックしてください』>