神は存在しない!!が、それでも『シャルリー・エポト』の風刺画はやり過ぎ下品!!イエスもアッラーもその他の宗教教祖も神ではない!!
無神論者の私だが、イスラム教の予言者ムハンマドを風刺したフランスの風刺誌『シャルリー・エポド』は“やり過ぎ″と断言してよい。
宗教はそれぞれの人が信じるもの。キリスト教の「信じる者は救われる」が大衆勧誘の宣伝文句。が、信じて救われた人がいますか? 地球上のあちこちで戦争を起こし、破壊と殺戮を繰り広げているではないか。
イスラム教もそうだ。「イスラム教こそ神そのもの」という信仰は、信じる者が信じればいいのであって、他人に強要することではないし、するべきではない。それが信仰の自由なのだ。強要は罪、最大の罪なのです。
キリスト教とイスラム教の戦いは何千年続いています? これまでその戦争で罪もない赤子、幼子たちがどれほど血を流し、泣き叫びながら死んで逝ったか…。
その数をキリスト教信者たち、イスラム教信者たちは数えたことがあるのですか? いや、数え切れないから振り向きもしないのだろう。愚かな信者たちの暴走の犠牲の上に、今日があることを分からないのなら、イスラム教信者もキリスト教信者も血も涙もない人間と言うしかない。
また、キリスト教信者が心の安らぎを求め、神の御心に抱かれたいと通う荘厳な教会建造までに、どれほどの年数をかけ、完成までに戦争や、事故等でどれほどの犠牲者があったかを、協会の片隅にも刻んでいない。
イスラム教もそうだ。神の力を求めて通い、一日五回の祈りをささげる、あの秀麗なモスク建設、完成までに、幾多の人が犠牲になったかも、やはり片隅にも刻んでいないではないか。またそれを語り伝えようともしていない。語り継ぐのが義務なのです。それをしないことは、先祖への感謝の気持ちもないということではないのか。
キリスト教信者もイスラム教信者も、まず、その人たちに感謝の祈りをささげるのが先だろう。その後、届きもしない願いや、自分の我欲を求めるべきではないのか。
私は数年前の師走、近くの駅前に立ち、『信じる者は救われる』とキリスト教布教の人たちを目にし、その中の25,6歳の男性に、
「キリストが神なら、なんで戦争ばかり起こすのか? 戦争を止めさせるのが神なんじゃないのか?」
と問いかけた。返った言葉が、
「実は僕もそれで2年間、悩んでいるんです」
だった。以降、その青年は駅前に来なくなった。
以前にも書いたが、読者よ、キリスト教信者よ、イスラム教信者よ、神は”言葉(言霊)〟なのです。
人間同士の関係、コミュニケーションのすべては“言葉(言霊)
〟から始まるのです、すべてのトラブルも言葉から始まり、仲直りも言葉です。
友人との喧嘩も言葉、職場で上司が部下を心地よく働かせるのもの、反発を買うのも言葉です。夫婦喧嘩も言葉からです。親が子を叱るのも、子が親に逆らうのも言葉が原因です。
国と国の関係が良くなるのも悪くなるのも“言葉(言霊)〟からです。貿易に携わる人なら理解できるはず。言葉の失敗が成立か不成立を決めるのです。
自分と家族の幸せを願い、実現したいなら、まず、あなたの“言葉(言霊)〟を変えることです。丁寧な言葉に。
それを歴史で知り身に着けているのが、日本の皇室です。天皇陛下、皇后陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下の言葉をよく聞いてください。実に丁寧で、誰にも理解できる言葉で、心を込めた言葉を遣います。故に世界の人々から崇拝されるのです。
雅子妃殿下が皇室になじめないのが、ここです。外務官僚の娘としてヨーロッパで生まれ、育ったために言葉の重みを理解できないのです。
皇室に嫁ぎながら自由がないと不平不満を口にする。その不満が内親王の顔に出ているじゃないですか。ふて腐れた顔に。体の不調を言い、皇室行事にも参加せずも”言葉(言霊)〟を未だ理解できないからです。理解しようという気もないのです。
皇室のしきたりに従いたくない、だから自分の生家の家族とは頻繁に交流しているのです。雅子妃のお父さんと、お母さんの言葉を聞いたことがありますか、
特にお母さんの言葉遣いは、あなたより蓮っ葉です。一度だけテレビで観て驚きました。俗に言う下町の八百屋や、魚やさんのおばさんよりひどい言葉遣いでした。
最後にもう一度申し上げます。神は“言葉(言霊)〟です。イエスキリストもアッラーも神ではありません。もちろん、日蓮も神ではないし、池田大作など神になどなれるはずがないでしょう。二号、三号をつくってやりたい放題してきたのですから。