通行人さま
読後感、拝見しました。下品なツラの竹中平蔵について以前にも述べましたが、目にしていない方も多いかと考え、再度配信します。
あの世界を不況に陥れたリーマンショックをご記憶と思います。、このリーマンブラザーズのCEOだったピーター・G・ピーターソン。彼はその後、ワシントンでシンクタンク国際経済研究所を創設。
この国際経済研究所で欧米諸国以外の国々、途上国を規制緩和で地獄へ叩き落した(経済、財政のグローバル化の美名の元に)対象国の資産を奪う計画が練られていたのです。
ここが掲げた目標は、
・貿易の自由化
・直接投資の受け入れ
・国営企業の民営化
・規制緩和
・所有権法の確立
5つでした。
これを日本に持ち込んだのが竹中平蔵です。何故なら、竹中平蔵は1989年から客員研究員をしていたのです。
ピーターソンと竹中が目を付けたのが郵政の郵貯・簡保の430兆円です。郵政を民営化させ、株式を市場に放出させ、ハゲタカの莫大な資金で株を買い占め430兆円を手にすべく画策したのです。竹中はピーターソンとこの金を個人的に懐に入れるために、経済、財政にまったく無知で郵政嫌いの小泉を利用したのです。
小泉が郵政嫌い、民営化したかったのには理由があります。少し遡りますが、田中角栄対福田赳夫の争いです。中選挙区当時、同じ自民党候補ぶつかり合いで福田派は“常に”田中派に勝てませんでした。それは田中角栄が立案した「特定郵便局」制度で郵便局を完全に支配していたからです。
小泉自身、強姦事件でロンドンに逃亡していましたが、福田派だった父(防衛大臣)の急逝で帰国し立候補しましたが、その弔い選挙でも田中派の候補に敗れたのです。それから次の選挙まで小泉は横須賀から毎日、世田谷の福田赳夫の自宅に通いつづけ、次の選挙でようやく初当選。
この悔しさから小泉は意地でも郵政民営化で、特定郵便局を叩き潰そうと考えていたのです。そこにチャンスとばかり竹中が食らいついた結果です。
残念ながら田中真紀子はこの小泉の恨みを知らなかったのです。小泉が自分の総理の生みの親の真紀子を斬ったのは二つの理由があります。
先ずは、外交機密費です。この機密費を一番懐に入れたのが雅子妃の父・小和田外務次官・米大使でした。外務官僚の外交機密費をあまり深く追及すると小和田=雅子となることを恐れたのと、前述の郵政民営化法を国会に提出すると、発信力のある真紀子外相の猛反対に遭う。下手をすると国民の反撃を食う、とイノブタ飯島秘書と竹中らで『真紀子斬り』を決断したのです。
これを知るマスコミ人はほとんどいません。マスコミもレベルが極端に落ちているのは事実です。
近々、久しぶりにUSTREAM「アクセスジャーナルTV」に出演し、こうしたいきさつも話そうを考えています。
また、近いうちに政界内幕を暴露した面白い本が出るそうです。出版社も著者名も情報が入ってきませんが、ともかく面白いということです。詳細が掴め次第、本ブログでも紹介します。
衝撃“妊婦が生肉食し、胎児の脳室に障害“!!女性のレバ、ユッケ喰いはいい加減にしろ!!
少し遅かった記事を見失っていたので今日、大急ぎで配信します。(朝日新聞・医療ルネサンスより)
昨年1月、東京都豊島区の歯科医、渡辺智美さん(32)は、妊娠8ヶ月の超音波検査で、胎児の頭の「脳室」が通常の4倍に広がっていることが分かった。
子どもを望み2年半。順調な妊娠生活が突然暗転した。大学病院に転院し、3月上旬、「トキノプラズマ」の感染による“水頭症”とわかった。
トキノプラズマは、ネコや牛、豚、馬などの動物などに寄生する原虫。人に感染するのは、感染した動物の肉を生や十分に加熱せずに食べる。土いじりをする、感染したネコの糞を触る――などが経路だ。
人から人へは感染しない。ただし、“妊娠中に初めて感染すると、胎児に感染することがある。感染した胎児には、脳や目に障害が出る”おそれがある。
渡辺さんは抗生物質の薬を飲み、長女を出産した。治療薬である「抗原虫薬」が日本で販売されていないため、個人輸入し、長女に1年半服用させた。自費で約50万円かかった。
現在、長女は1歳8ヶ月。右手足に少しまひがあり、まだ1人で歩けない。障害を持つ子どもたちとの集団療育や、個別のリハビリのため、専門施設に通う。
妊婦は、感染を防ぐため、①肉は十分火を通して食べる②土をいじるなら。手袋をし、十分、手洗いする③包丁やまな板は生肉用と野菜用に分ける④ネコの世話をできでは家族に任せる――などの注意が必要だ。
渡辺さんは、病院でこうした指導を受けず、「ネコを飼う人が用心する感染症」と思い込んでいた。だが、三井記念病院(東京都千代田区)産婦人科部長の小島俊行さんは、
「生や加熱不十分な肉の摂取や、土いじりによる感染の方が多い」
と指摘する。
渡辺さんも妊娠中期に、焼き肉店で“ユッケやレバ刺し”を食べていた。
「何も知らず、大切な我が子に障害を与えてしまった」
と自分を責め、涙を流した。
国内では、妊婦の約9割がトキノプラズマの抗体を持っておらず、感染するおそれがある。抗体検査で妊娠中の感染が分かれば、抗生物質で子どもの重症化を防げるが、妊婦健診で抗体検査を行う施設は半数しかない。
日本小児感染症学会の調査で3年間に16例の胎内感染が報告されたが、見逃しも多く氷山の一角だ。
渡辺さんは今年9月、他の母子感染症の子を持つ母親らと合同の患者会「トーチの会」を作った。
「妊娠を考える女性は、ぜひ母子感染症の知識を持ってほしい:
と話している。
㊟私はこの女性にまったく同情しない。何故なら、常識から考えて動物はどんな菌や病気を持っているから分からないのだから、その動物を食すということは動物の血を体内に取り込むということになる。しかも、最近の女性は肉を食べすぎるからだ。特に若い女性にレバ、ユッケを好む傾向がみられる。
ブタ顔女が“レア”ステーキだ、“レア”焼き肉だ、と食っていたらブタ顔、牛顔の子が生まれて当然だろう。だから私は昔から肉は食さないし、寿司屋でも火の通った物(例えば煮ハマグリや蒸しアワビ等=高額だが)しか食べない。回転寿司などとんでもない。そんな金がない、というなら行かなければいいだけのこと。買って来て家で調理すればいいじゃないか。手間を省くな女性なら!
売国奴・国賊竹中平蔵を政府に入れた“安倍総理も国賊”と呼ばれる日が来る!!
多くの国民は安倍晋三総理を“国士”と思っていたのではないのか。これまでの中国、北朝鮮に対する言動から判断すればそう思えて当然。ところがどういうことか、政府の中枢に竹中平蔵を招いてしまった(私の推測では小泉元総理が強力に推薦したのではないかと・・・)。
1月31日号の週刊新潮、週刊文春の二誌が、政府に入り込んだ竹中平蔵をけちょんけちょんにクサしている。記事は後ほど紹介するが、まず週刊新潮の見出しがきつい。
<格差で日本を暗くした『竹中平蔵』どのツラ下げて復活か!>
文春は、
<アベノミクスのリスクは竹中平蔵!>
とある。
文春は景気浮揚を柱にする“アベノミクス”を竹中平蔵が妨害するだろう、という見方をしているのだが、ここでは厳しい週刊新潮記事を紹介する。何故なら私が竹中平蔵を国賊、売国奴と呼び続けている考えと同じ考えだから。少し長いが面白いので是非お読みください。
―(略)小泉政権下で「構造改革」の名のもとに格差社会≪製造業にまで何ら保証のない派遣労働を認め、≫をはびこらせた竹中平蔵氏はなんら反省することもなく、日本経済を動かしうる立場に返り咲いたのだ。どの面下げて復活か!-
(略)ほんのこの間までは、橋下徹大阪市長率いる『日本維新の会』のブレーンにおさまり、公募候補者の選定委員長を務めていた、にもかかわらず、安倍・自民党が圧勝すると、すぐに乗り換えたのである。
政治ジャーナリストの鈴木氏はこう指摘する。
「3年ほど前、親しい人たち数人が集まった席で、竹中さんは、“僕の夢は日銀総裁になることです”と明言しました。彼は、使えるものはなんでも使うタイプ。日銀総裁へのステップアップとして維新が使えと見込んで近づいたわけです。そして、今度は安倍政権が誕生すると、昔の威光をバックに政府の産業競争力会議の一員に登用されました」
当初、安倍総理は竹中氏を経済財政諮問会議のメンバーに抜擢しようとしたものの、麻生財務相や甘利経済再生相からノーを突きつけられ、新設した産業競争力会議に押し込むほかなかったという。その一方で、また一歩夢に近づき、日銀総裁の後任候補としてリストアップされたのだ。
ただ、自民党内にも竹中アレルギーが少なからずあるため、すんなり日銀総裁に就任するのは微妙なところとはいえ、安倍政権の経済運営において重要な役割を担うこに疑問の余地はない。しかし、弱肉強食の市場原理主義を導入し、格差社会をまん延させたこの学者の復活は我々にとっては悪夢以外の何ものでもない。
“僕のせいではない”
かねてから竹中路線を批判してきた、作家の高杉良氏が憤慨する。
「竹中さんは構造改革と称し、日本的な文化を悉く破壊しました。戦後の焼け野原から奇跡の経済復興を成し遂げた原動力は、終身雇用や年功序列を外事にする経営方式でした。だが、過度な競争原理の導入と規制緩和のおかげで、拝金主義がホリエモンや村上ファンドなどを生み出し、かたや、非正規雇用を解禁したために、ワーキングプアと呼ばれるフリーターや派遣社員を急増させたのです」
挙げ句、寝泊まりするところさえないネットカフェ難民という人々も出現。終身雇用システムは崩壊し、年収200万に満たない貧困層が今や1100万人に膨れ上がった。<㊟筆者の調査では年収160万円以下が約1300万人を超えている>
それだけではない。竹中氏は対米追従の金融再編に着手し、“厳格な資産査定”という銀行いじめを行った結果、貸し渋り、貸し剥しを大量発生させて中小企業をバタバタと倒産に追い込んだうえ、ハゲタカファンドの跋扈を許した。
さらに、主導した郵政民営化さえ、明らかに失敗だったと言われる有様なのだ。
高杉氏が続ける。
「電電公社や国鉄の民営化は、確かに国民に恩恵をもたらしました。しかし、郵政民営化は、地方では郵便局が無くなるなど、国民にとっては欠くことのできない郵便事業というライフラインをズタズタにしただけです。英国のように民営化の失敗気づき、早く元に戻すべきなのです」
将来の方向性が描けぬまま突き進んだ小泉構造改革。竹中氏はその片棒を担いだわけだが、“カネのためなら何でもやる”というアメリカナイズされた姿勢は終始一貫していた。日米間で住民票の移動を繰り返し、”税金逃れ“だと批判されても、微塵も恥じる様子は見せなかった。
哲学者の適葉収氏は、竹中氏をこう評する。
「3年ほど前、某誌の仕事で竹中さんと会ったときに、”構造改革で日本がこんなひどい状況になったご感想は?と聞きました。すると、“僕のせいではない。小泉政権ができる前から悪かった”激高し,非は認めなかった。
彼は“やれ、グローバリズム社会だなんだ”と声を張り上げでいましたが、欧州危機や中東問題を見ても、最終的に国民が寄り添うのは国家しかない。もはや、単純なグローバリズム幻想は捨て去るべきなのです」
口先だけで国民を欺く、亡国の徒の復活をただ黙って見過ごすわけにはいかない。
㊟早速、28日に開催されたダボス会議に甘利大臣に同行して、“品性下劣な顔”をテレビに出していた。もちろん、各国首脳との会議には出席はしていなかったが・・・。読者の皆さん、繰り返しますが、この売国奴、国賊は派遣の血を吸い莫大な利益を上げているパソナ[南部靖之社長]の会長に収まり、毎月1億円の給料を得ているんです。
怒りをもって安倍首相にFAXや手紙を集中させてください。愚かな安倍氏も遠ざけるでしょうから。
今も「競売物件」に住む“政界のゴロツキ”ハマコー未亡人の生き様!!
国会議員でありながらラスベガスのカジノで大金を失い(㊟この金はハマコーが敵対していた田中角栄元総理の最大の支援者で刎頚の友だった国際興業の小佐野賢治氏が立て替えてもらいながら平然としていた)、法務大臣を殴り、予算委員長時には問題発言で物議を醸した浜田幸一ことハマコー。
そしてば晩年、巨額の負債が明るみに出て詐欺容疑で逮捕(判決前に死去)された。そんなハマコーを陰で支え続けたのが寿美子夫人(80)だ。しかし、約60年の結婚生活で共に過ごした時間はわずか数年。そんな彼女が振り返る“政界の暴れん坊”との日々――。(週刊新潮より)
2年前、あの人はとうとう家へ帰ってきました。ずっと東京にいて、滅多に地元の千葉には帰ってこない人だったんです。でも体は満身創痍。精神的にも不安定で、自分一人で歩くこともできません。帰ってきてくれて嬉しいなんて感じる余裕もない。初めての夫婦水入らずは、私があの人の「介護士」になることでスタートしました。
私は1932年、大阪府に生まれました。敗戦直前に父が病死。48年に母の実家がある千葉県富津市に引っ越したんです。20歳で保育士として働き始めたんですが、保育園の隣があの人の家で、よく彼のお母さんが通りかかっていました。するとお母さんが私にあの人との縁談を持ちかけてきたんです。何度もお願いされて断り切れず、21歳で結婚しました。
あの人は28年生まれで、お父さんは地虫で地元の助役も務めていましたが、戦後に困窮、浜田本人も苦労して旧制中学から日本大学に進みます。しかし、大学は中退。あの人自身が後に公言するように”ヤクザ“だった時期もありました(㊟広域暴力団・稲川組のチンピラ)。私と結婚する前は刺傷事件を起こして実刑判決も受けています。
結婚してから、彼は政治家を志しますが、結婚生活は辛く苦しいことの連続でしたね。そもそも、彼には付き合っている女性がいたんです。でも親に言われて断り切れず、私と結婚したんでしょう。借金もありました。私は突然、別世界に放り込まれ、保育士を続けながら何とか家計をやりくりしていました。
あの人は町会議員から県会議員となり、その頃には家にいないことが多かったですね。生活費も滞りがち。とても不安でしたが、何より県議が地元にいないというのは支援者の方々に説明がつきません。少し生活が落ち着いてきたのは、彼が69年に国会議員になってから。ぎりぎりの額でしたけれど、生活費を毎月入れてくれるようになりました。
地元不在の言い訳も、代議士なんですから東京の事務所にいると言えばいい。自宅に女の人から電話がかかってくることもありましたけど、知らぬが仏と詮索はしない。全く帰ってこないくせに、彼は怒りだすと家に電話をかけてきました。
秘書や私に『お前はバカだ!この野郎!』と怒鳴り、気が済むと「じゃあな」と切ってしまう。何に腹を立てているのかすらも、さっぱりわかりません。
私は、あの人に認められる存在になろうと幸寿会という婦人部を設立しました。80年頃、彼がラスベガス出4億園以上負けたことが話題になった時期です。当時、後援会は婦人部が弱かった。次第に幸寿会が大きくなってくると、あの人も私を尊重してくれるようになりました。
ですから88年、彼が衆議院の予算院長になった時は、幸寿会でもお祝いをしなきゃと誰もが張りきっていたんです。でも予算員会で共産党の宮本さん(賢治・同党元名誉議長)について「宮本賢治は人殺し」と発言し、あっという間に辞めてしまった。
騒動が起きるたび「いつものことね」と思っていましたけど、何かあると取材の方がお見えになるでしょう。家を取り囲まれるのはやっぱり辛かったですね。
代議士引退は93年。糖尿病と肝硬変が悪化し、精神的にも問題が生じていたので、主治医が「政治家を続けるなら命の保証はしない」と仰ったんです。義弟と説得しましたが、あの人は散々ぐずりました。引退してからも私に、
「お前は、はじめから息子の靖一を代議士にしたかったんだろう」
と嫌味を言っていたくらいです。
でも政治評論家としてテレビに出演するようになり、離れて観ていると元気そうに映っていたので安心しました。
引退する数年前にはフランスとイタリアに10日間の旅行に出かけました。たった一度の旅行でしたが、彼が案内してくれて、私はついていくだけでよかった。気楽で、本当に楽しかった。友人は「人生、悪いことばかりじゃないでしょ」と言ってくれました。
詳しくは知りませんが、事業は何度も失敗したようです。騙されたことも少なくないと思います。
2010年に担保に差し出したはずの株券を勝手に売ったと背任容疑で逮捕された時は相当なショックを受けたようでした。
2年前に帰宅してからは精神面がすぐれず、「お母さんはどこに行った?」とすでに亡くなっている母親を探したりしていました。でも次第に元気を取り戻すようになり、熱心に国会中継を見ることもありましたし、ひ孫の姿を見られたのは本当に良かった。
回復していると思っていたんですが、12年8月5日の朝、浜田は眠るように息を引き取りました。死に顔は穏やかで、昔と全然違った。お葬式も、お別れの会も1000人ちょっとの方が来てくださいました。それにしても、あの人が逝ったと、まだ信じられません。ずっと東京に行っていたでしょう。だから今でも東京で元気に暮らしているんじゃあいかって。
弁護士さんにお任せしているので、今、借金がいくらになっているのか、私にも分かりません。債権者の方には申し訳ない気持ちで一杯ですが、千葉にあるこの60坪ほどの土地も家も競売にかけられています。住んでいられるのは単に買い手がついていないからで、次に住むところは決まっていません。
㊟故人の思い出として語らせているだけに、週刊新潮もあまり厳しいことを書いていない。が、ハマコーの生き様は永田町で褒める声はゼロ、どころか軽蔑、嘲笑する声がほとんどである。暴力団チンピラの経歴で同僚議員を脅し自民党の中で巾を利かせのし上がっただけ。故に大臣にもなれなかったのだ。
しかも、己の利権漁りを棚に上げ、田中角栄元総理を金権政治家と糾弾し続け、前述のように田中角栄の“刎頸の友”の小佐野賢治氏にラスベガスの負け金を支払ってもらいながら、感謝もせず、返済もしていない。でいながらその後も田中角栄を非難し続けた。もちろん、角栄元総理は虫けら扱いにもしなかったが。
千葉県のゴミ処理場建設事件、モンゴルの金鉱事件とハマコーの金権亡者振りは数え上げれば切りがないが、今も現実に目にする東京アクアライン建設ゴリ押しも、建設業者からの莫大な献金目当てであったことは多くの政治家も官僚も知っている。オープン当時の高額な通行料金に非難が轟々だった。これはあまりに建設費が嵩んだ結果、とても採算が取れないからだった。
それより、ハマコーは長く代議士として国民の税金でメシを食いながら、議員立法一つしていない。それだけの頭さえなかったということだ。千葉県人もこんな“埃”を誇りにしているのだから、“トロ”ウイルスに罹って12月解散をぶった野田ブタドジョウを生んだのだ。
天罰!!中国、レアアースで過剰な輸出枠設定 「脱中国」危機感で供給増
【上海=河崎真澄】中国商務省は29日までに、戦略資源と位置づけているレアアース(希土類)の2013年上半期の輸出枠を1万5501トンに設定した。12年の中国のレアアース輸出実績は約1万3千トンと過去10年間で最低を記録。3万996トンだった12年通年の輸出枠は半分以上が使われずに終わる。商務省は需給バランスに見合わない過剰な輸出枠を設定した形だ。
レアアースはスマートフォン(多機能携帯電話)などハイテク製品やエコカーなどの製造に欠かせない材料。だが、10年9月に起きた中国漁船衝突事件で、中国が“制裁措置”としてレアアースの対日輸出を規制したことを受け、日米などは代替技術の開発や中国以外から資源を調達する「脱中国」を進めた。中国はこうした国際社会の反応に危機感を強め、供給増を図ったものとみられる。
日系企業幹部によると、中国の業者から安値でのレアアース輸出を持ちかける商談が増えているという。10年までは中国がレアアースの世界需要量の9割を供給し、日本が最大の輸出先だった。昨年から今年にかけて国際市場価格の大幅な下落も続いている。
中国のレアアース輸出規制問題では日米欧が今年3月、世界貿易機関(WTO)に提訴した。輸出枠拡大には国際的な批判をかわす狙いもありそうだ。(夕刊フジより)
低視聴率はサゲマン小雪が原因?視聴率と一緒に壇ノ浦に沈んだ「松山ケンイチ」来年のお仕事は?
低視聴率はサゲマン小雪が原因?視聴率と一緒に壇ノ浦に沈んだ「松山ケンイチ」来年のお仕事は?
本人は、
「視聴率最低記録を更新できたことはすごく光栄」
と開き直っていたが。ともかく、スタート早々、清盛ゆかりの兵庫県広島県知事から”画面が汚い“とイチャモンをつけられたのがケチの付き始めだった。(略)
そもそも、
「大河の主役はいわば俳優の頂点。1年間通して毎週1時間番組に出続けるわけだから、トップランクの証なのです」(芸能記者)
「大河の主役に選ばれれば、大変な脚光を浴びる。NHKがギャラは安いがステータスは高い。だからこそ俳優はみんどんな役でもいいから大河に出たがるんです」(芸能ライター)
それだけに、本来、
「大河の主役を経験すれば俳優としてのその後のランク、扱い、ギャラすべてが変わます」(芸能評論家)
となるそうで、実際、最近でも『天地人』の妻夫木聡や『篤姫』の宮崎あおい、相手役の堺雅人など、
「大河の翌年から次々と映画主演も続き、評価を高めて活躍の場を広げていった」(先の芸能記者)
では、松ケンはどうか。
「結果的に”主役を張れる役者じゃない“というレッテルを貼られてしまった。
今後、テレビ局も彼を主役では使えないでしょう」(同)
実際、来年の仕事は現時点で2月の舞台主演と秋の映画があるのはあるが、
「舞台は所属のホリプロ主催だし、映画は三谷幸喜監督作「清須会議」ですが、10番手くらい。他はまったく白紙です」(同)
小雪との結婚、出産で若いファンが離れたと言われる松ケン。来年は耳許に諸行無常の響きを覚えつつ、正念場の年となるかもしれない。(週刊新潮より)
㊟松ケンくん、小雪は下げマンと教えたろうに・・それを君が選んだんだ。主演を貼れる役者になりたければ離婚だな。
銀座の『熟女クラブ』ナンバーワンというバブルの女王「アッコちゃん」!
アッコちゃんをご存じだろうか。林真理子氏の小説「アッコちゃんの時代」(新潮文庫)のモデルである。バブル期にその美貌で地上げの帝王を虜にし、贅の限りを尽くし、その後、音楽プロデューサーと結婚・・・。45歳のアッコちゃんは今、銀座の熟女クラブにいる、入店半年で瞬く間にナンバーワン。さすがバルブの女王である。
アッコちゃんの源氏名は美鈴。東京・銀座の熟女クラブでホステスとして働き始めたのは、2012年6月である。客も同僚ホステスも彼女がバブルの女王だったことは知らない。
「お店には30代から40代までのホステスが40人ほどいますが、美鈴さんがナンバーワンです。客あしらいがうまいとか、そんなレベルではなくで、席に着くだけで座がパッと明るくなる。よく笑うし、お客様を心地よい気分にしてくれる」
とはホステス仲間。
「お客さまが、”天女みたい“という表現を使いましたが、人を魅了することに関しては、天性のものがありますね」
アッコちゃんが地上げの帝王、最上興産の早坂太吉会長(故人)の愛人になったのは、20歳の時だった。
「もともと彼女は、早坂会長の愛人だった銀座のクラブママの娘の大学の後輩でしたが、会長の方が夢中になってしまった」
とは女性誌記者。
地上げの帝王と女性大生のカップルを週刊誌は書き立てた。しかし、バブル崩壊とともに、早坂会長は凋落。93年に最上興産は約1000億円の負債を抱え倒産。が、アッコちゃんの時代はまだ続いた。
女優・風吹ジュンの夫で六本木のレストランオーナー川添象郎氏が次の相手だった。明治の元勲・後藤象二郎の曾孫で、音楽プロデューサーとしても活躍した人物である。
「アッコちゃんが妊娠したために、川添氏は風吹ジュンと離婚して、彼女と結婚しましたが、数年後に別居。5年ほど前に離婚しました」(同)
スレンダーな体形のまま
その後、アッコちゃんの消息は知れなかったが、実は旅館を経営する内縁の夫との間に2人の子供をもうけていたのである。それがどうしてまた、銀座の熟女クラブで働くようになったのだろうか。
「9年間続いていた3歳年上の内縁の夫と別れ、何としても働かなければならなくなったのです」
こう語るのはアッコちゃんご本人。
2人の子供がいるとは思えないほどの艶やかさ。スレンダーな体形はバブル時代そのまま。
「私は水商売の経験は全くありません。もう45歳ですし、お客様を呼べるわけがありません。ないない尽くしでしたが、あるママが”熟女クラブ“があると教えてくれたのです。”熟女“というネーミングはとても抵抗がありましたが、面接を受け、お店を拝見するとインテリアもシックで落ち着いた雰囲気でした。とにかく私は一歩でも前に進むことが大切だと働く覚悟を決めました」
それがあれよあれよという間にナンバーワンになったが、そのアッコちゃんは今、バブル時代のことをどう思っているのだろうか。
「もしタイムマシンがあるなら15歳ぐらいまで戻りたいです。できれば今の大人の能力を持ってね。そうすれば、あの2人とはああいうことにはならなかったでしょう。あの2人?大変な女好きで実にマメなところは共通していますね」
こう言って笑うアッコちゃんだが、12年で熟女クラブは辞め、13年からは昼の仕事に就くのだという。バブル遥かなり。(週刊新潮より)
若い世代は知らない一世を風靡した作家・シャンソン歌手「戸川昌子」、80歳で年金なしもライブで借金返済!!
私も何度か行った渋谷1丁目のビル地下の戸川昌子の店「青い部屋」。有名人の溜り場でもあった。その店が閉じざるを得なくなって久しい。忘れていたら週刊新潮が戸川昌子を探し出してくれた。記事をご覧あれ。
不幸は音も立てずに突然やってくる。それは戸川昌子さんにも例外ではなかった。彼女のオーナーだったシャンソンバー「青い部屋」。1967年のオープンから、作家の川端康成や三島由紀夫、紀伊国屋書店の創業者である田辺茂一などが足蹴区通っていた“文化サロン”のような店だった。だが、2010年に突如、閉店に追い込まれた。
その経緯を戸川さんご本人が語る。
「店を任せていた男性にお金を持ち逃げされてしまったのよ。彼とは40年来の付き合いで、閉店する2年前から働いてもらっていましたが、ある日突然いなくなってしまったのね。従業員に聞くと、彼らの給与も未払いになっていたことがわかっつたの」
さらに、である。
「彼はお店の印鑑と通帳も持ち出して、銀行から店のお金を全て引き出していたわ。それに1か月70~80万円の店の家賃が10カ月分、彼が私名義で勝手に借りていたマンションの家賃も数カ月分滞納していた。被害総額は、1000万円ほどになりましたね」
当然、警察へ被害届を提出したものの、未だに男の行方は知れない。その後、弁護士に店の法的整理を依頼したが、彼女は傘寿を目前に約500万円の借金を背負うことになった。
「借金は、未だにローンで返済しているわよ。私は年金もないしね。多い時には毎月20万円くらい返済していたけど、今は10万円弱かしら。細かいことは歌手の息子NEROがやってくれているから頭が上がりません」
彼女は77年に45歳という高齢で男児を出産して話題になった。
「80歳になって借金を返しているのも珍しいけど、息子は“死ぬ前に借金だけはきれいにして逝ってくれ”って言ってるわよ」
体を売る訳にも
とは言え、傘寿を迎えたシャンソン歌手の大御所は何で収入を得ているのか。
「渋谷の東京本店の裏にあるライブハウスで、毎週月曜日に「青い部屋―月曜シャンソンコンサート」を開いて、息子と一緒に歌っているの。ステージ上でも借金の話はするわよ。“この年になると体を売る訳にもいかない”なんていうと、お客さんから笑いが起きる。あと10年、20年ステージに立てば返済できる?冗談じゃないわ。昔は老婆の芝居をしていたけど、いまは芝居じゃなくて本当の老婆なんだから、いくらなんでもそこまで働けないわよ」
「(石原)慎太郎君は、確か私より学年がひとつ下かな。2年前に何かのパーティーで、彼と久しぶりに会ったの。私が“ねぇ、ちょっとアンタ”って声をかけたのさ。そうしたら、彼は“俺のことをアンタなんて呼ぶのは、戸川さんくらいしかいねえ”って苦笑していたわ。その頃は東京都知事だったけど、今は維新の会代表でしょう。彼が暴走老人だったら、私は暴走老婆よ。アイツは、金持ちだから勝手なことを言えるけど、私は未だに貧乏ですから・・・」
とはいえ、ここまで言えれば意気軒昂。年明けにはCDも出る。完済の日を迎えるのも、さほど遠くはないかもしれない。
㊟この記事を目にして、ふと気が付いたのだが・・・店長に金を持ち逃げされ大騒ぎになった後、あの作詞家のなかにし礼が「戸川昌子さんから相談され・・・」と、相当な金額を援助したような発言をテレビ化週刊誌でしていたはず。今回の戸川氏の発言を見る限り、なかにし礼は一銭も応援していないとしか。
なかにし礼というのは、税金のことで私に世話になっていながら、その後の報告もお礼の電話もない非常識男であるのは確かだが。
仲悪い党三役 女2人大抜擢のウラに 安倍VS石破 壮絶バトル!!同時に高市と聖子も争いの兆し
自民党の新三役人事。下馬評では古狸の大島理森前副総裁や額賀福志郎元財務相の名前が挙がっていたが、フタを開けてみれば女2人の抜擢だ。
高市早苗政調会長(51)と野田聖子総務会長(52)――。安倍自身が「自民党が変わったと理解してもらえるのではないか」と言っていたように、参院選向けのあざといイメージ戦略なのだが、この若返り刷新人事はそれだけが理由じゃない。水面下では、安倍総裁VS.石破幹事長が人事をめぐって壮絶バトルを繰り広げていた。
「石破幹事長は総裁選で自分を推した小池百合子を強力にプッシュしましたが、安倍総裁が頑として首をタテに振らなかった。石破に党の主導権を握らせないよう、機先を制したのです。それに安倍総裁は、権力を渡り歩く小池さんが大キライ。小池外しの結果、小池同様、総裁選で石破を推したものの安倍とは関係が悪くない野田さんに差し替わった。さらに、安倍総裁はシンパで三役の一角を取りたいと、『女性活用』の名の下に高市さんを選んだのです」(自民党中堅)
役員人事は完全に安倍ペースだ。同じ派閥で総務会長だった細田博之は石破の“お目付け役”として幹事長代行に横滑り。一方で、石破の数少ない側近で幹事長代行だった鴨下一郎を国対委員長に“抜擢”し、体よく幹事長室から追い出したのだ。安倍VS.石破のバトルは、「完全に石破が制圧された」という空気が党内に漂っているという。
ただ、これで安倍が安泰かというと、今度は執行部内に別のバトルが勃発の兆しだ。「野田VS.高市」の女の争いである。
「野党時代に党の広報本部長として汗をかいてきた高市さんにすれば、子育て中心で政界から遠ざかっていた野田さんと同格というのは許しがたいでしょうね。夫婦別姓についても、野田さんは賛成派、高市さんは反対派。2人は水と油です。新三役の共同記者会見でも、2人は目も合わせませんでした」(自民党関係者)
こんなドロドロ人事で「自民党は変わった」なんて、よく言うよ、である。(日刊ゲンダイより)
㊟そうなんです。野田と高市の二人は思想信条が真逆なんです。二人を知る私が見ていても、役員発表会で隣合せていたがピリピリしてましたもの。役員会でも掴み合いでもしてくれたら、面白いんだが。
それより、野田クン、君は忠告したろ?重い障害も持つ子を安楽死させて、刑事責任を取りなさい、と。子供をどう育てるんだ?まともに育たない子なんだぞ?怪物にしか・・・。、
メールを嬉しく拝読させ頂きました。私はあなたと同じなんです。子供の頃、向こうから歩いてくる身障者を見て、『気持ち悪い』と声を出しました。
途端に、母が私の頬をぶちました。『お前は何を言うの!』と。その障害者は僕の母に会えることが嬉しかったようです。いつも普通に相手にしてくれたからのようです。
さて、本論です。先日、大きなスーパーに買い物に行きました。私が10キロもある猫の砂をリュクに担いで歩いているとき、私の足を踏みつけるような女。もちろん、自分が悪いから女は「すみません」とわびました。が、私は買い物を済ませ、その女を見つけ、「この通路はお前だけの通里のじゃないんだ!」と怒鳴つけました。
顔はデカい、声はデカいですから、その女、ある売店に逃げ込みました。私は追い打ちをかけ、、「おまえみたいな汚い女が街を歩くな!」と怒鳴りつけで帰りました。あれで少しは反省したでしょう。このように私は言いたいことを言い放題で育って来ました。
あなたの文面を見て、腹の立つことがよく分かります。ただ、今回、自民党政権に戻ったことはいいことなんです。何故かと言えば、徹底的に追及できるからです。これからはますます私が野党議員を動かして、この国家の矛盾を追及しましす。約束します。応援してくださいね。ごきげんよう。
権利は要求すべきなんです。ですが、権利ばかりをいう社会もおかしいのです。
芸能界追放の声!! こいつを参議院選に担ぎ出さなくて良かった!板東英二の銭ゲバ“脱税”人生には参ったネ!
実はいまから20年近く前の話だが、私は板東英二を参議院選挙に全国区から立候補させるべく動いた。彼がメインでフジテレビ系・関西テレビ制作の土曜日朝8:00のからワイドショー『土曜大好き』の司会をしている時だ。その時期は夏だった。
理由は選挙参謀として数多くの政治家を当選させてきた経験や、持って生まれた霊的直感力で、「この男は票が獲れる!」と閃いたからだ。思い立ったらすぐ行動に移すだけに、即座に当時昵懇にしていた関西テレビ社長と連絡を取ると、折り返しやはり親しい政策担当常務から、
「どんなことなのかきかせてよ。本人に説明しなきゃならないから」と電話が入った。理由を説明すると、「なるほど‥正次郎が言うんだから間違いないだろうな。わかった。ただ、当日、社長も俺もゴルフでいないから立ち会えんよ」と。
土曜日の番組終了後に関西テレビ役員室でとなり、その日早朝、大阪に飛んだ。関西テレビ役員室に顔を出すと日曜出勤を命じられた役員担当の女性秘書が、
「社長室,常務室どちらでもお使いくださいとのことです」
で、「コーヒーもお茶も御心配なく。お休みの日なのにごめんなさい」と、少しだけ遠慮して、常務室を借りることにして案内してもらった。番組終了30分前だ。やがてドアに小さく、いや、恐る恐るという感じでノックの音が聞こえた。
「どうぞ」
板東がTシャツ短パン姿で小さなバッグを手にドアの前で、「板東英二と申します」と。おずおずしている。こりゃ、社長か常務が「うるさい大物だから」などとプレッシャーをかけたのだろう。
「気を楽にしてください。渡邉正次郎です」
と常務室の応接セットに板東をかけさせた。
「単刀直入にいいましょう。板東さん、参議院議員全国区に立候補しませんか?」
板東は私の目を見たまま、返答に困っている様子。常務から話の内容を聞いているのだろう。とても決断を下せる時間もない。ただ、テレビ局の重役からの命令だから止むを得ず、東京から来るうるさい男と会ったという感じではない。迷っているのだ。嬉しさもあったろう。
その時は、「あまたもすぐ決心はできないでしょうから、また日を改めて・・」別れた。
それから大分経って、そろそろ再プッシュという頃、確かな記憶ないようではないが、突然、ニュースで『板東英二と株取引で暴力団関係者とトラブル・・・』の報道が流れ、選挙への担ぎ出しをストップしたことがある。
あれから約20年近い。また板東のカネにまつわる事件だ。20年近く前の事件はともかく、今回の脱税事件が彼の人生を完全に暗転させる内容のようだ。以下、いくつかの新聞記事を紹介する。
「ワシ、1日も休みいらんねん」が口グセらしい。
12月27日、板東英二(72)の個人事務所兼番組制作会社「オフィスメイ・ワーク」が、05年から11年8月期までの7年間で約7500万円の申告漏れを名古屋国税局に指摘されていたことが分かった。うち約5000万円は所得隠しと判断。重加算税を含め追徴課税は約2800万円にのぼるという。
イベント企画会社にテレビ番組の制作や商品開発を外注したように装ったり、倒産した自動車販売会社に金を貸したように見せかけていた。これらは板東の主導によるものだったという。
88年から23年間、国税庁のPRをやっていて、07年には感謝状までもらっている。それなのに納税意識は低かった。年末年始もオンエア予定の番組はびっしりで、今頃テレビ局は頭を抱えている。実際、正月に放送予定だった名古屋ローカルの冠番組はオンエア中止が決まったが、“銭ゲバ”ぶりは昔から有名だった。
「カネを稼ぐのが大好きで、あらゆる副業に手を出し、失敗すれば後輩や芸能人から借金していた。野球場で引退した選手を見つけると、野球の話そっちのけで『うちの事務所に来~へんか~』と熱心に勧誘。仲のいい星野仙一が楽天の監督になったときは、『これで東北の財界にコネができたわ~』と喜んでいたほどです」(球界関係者)
中日入団1年目のオフにジュークボックスの営業を始め、その後もサウナ、ナイトクラブ、麻雀荘、割烹料理店、牛乳宅配業、株取引、通販事業と手当たり次第にやってきた。あまりにサイドビジネスが忙しく、肝心の野球解説はブースで爆睡していたことも。ある球界OBはこう話す。
「口から生まれてきたのかというくらいよくしゃべる。会話で人を巻き込む力があるので、商売人には向いてるなと思った。74年に中日が優勝したときに自分で歌った『燃えよドラゴンズ!』のレコードを発売したり、自分で考えたロゴをつけた服を売ったり。ウソかホントか税金対策のために扶養控除の欄に親戚中の名前を入れて、申請の紙を2枚も3枚も書いていたという話も聞いた。昔ならいざ知らず、今は調査も厳しいだろうに、それでも必死にセコイことをやってるなんて、70過ぎてみっともないね」
カネに執着する理由を「入団時の契約金を父が株式投資につぎ込んで失敗したこと」と本人は語っているが、“カエルの子はカエル”だったか。(日刊ゲンダイ)
所得隠し協力先に1500万円謝礼か 板東事務所問題
タレントの板東英二さん(72)の個人事務所による所得隠しの問題で、板東さんが約15年間にわたって架空外注を主導し、所得隠しに協力した取引先に謝礼を渡していた疑いがあることが、朝日新聞が入手した資料と関係者への取材でわかった。取引先の関係者は「この間に1500万円前後は受け取った」と認めている。
板東さんの事務所「オフィスメイ・ワーク」(名古屋市)は、大阪市のイベント企画会社や同市の別のイベント企画会社にテレビ番組の業務を外注したように見せかけ、所得を隠したことが入手した資料でわかっている。
関係者によると、板東さんの事務所が企画会社側に架空請求を指示。企画会社側が請求書を送ると、事務所から口座に入金され、必要経費を差し引いた残りを板東さんや事務所の関係者に現金で還流させていた。
これらの企画会社は、所得隠しに協力した謝礼として架空請求額の15%を受け取ったとされ、その割合は事務所側で設定されたという。
この報道後、東京キー局の某編成局長に今後の番組に板東を起用するかどうか尋ねると、
「存在感はあるんですが貴重という訳でもないですし今後は難しいでしょうね。脱税は絶対拙い。しかもあちこちの情報ではタチが悪すぎる。国税のPR活動までしていたんじゃ・・・」
と彼のタレント人生は終わったことを暗示した。
最後に付け加えると、板東と初めて会った私の印象は、「実力者や権力者の顔色をうかがうような目の動きをする男だな。ま、親しみやすさで票は集められる」だった。
天罰下る!!売国奴・竹中平蔵の茶坊主だった日銀エリート木村剛。逮捕・執行猶予でアキバの”萌え系ネットマガジン“に居候中。銀行認可に当時、金融担当大臣権力を行使した竹中は謝罪もせず知らん顔!!
2012年3月、自ら中小企業金融の変革を訴え設立した日本振興銀行の検査忌避事件で、木村氏は東京地裁から懲役1年、執行猶予3年の判決を言い渡された。(週刊文春記事を参考に。また後半でこの銀行設立疑惑を東洋経済オンライン記事で紹介します)
彼の作った「金融検査マニュアル」が、幾多の銀行を破たんに追い込んだのは、ほんの10年前のこと。日本銀行を辞め、外資系コンサルタント会社の代表になっていた木村氏は、経済政策全般にわたる若手論客として名をはせた。
小泉内閣の要だった竹中平蔵経済財政担当相のブレーンに起用された当時、まだ30代の若さだった。だが、自ら設立した日本振興銀行で躓く。罪状は金融庁の検査対象のメール723通を部下に削除させたなどの銀行法違反である。
判決で裁判長は、
「金融庁の顧問として検査マニュアルの設定に関与していながら、実効性を失わせる行為を組織的に行なっており、悪質だ」
と述べた。
まさにその通り。自分の罠に自分が嵌った皮肉な結果となった。
その後、表舞台から姿を消した木村氏は、どうしているのだろうか?
「普段は、彼が発刊した『FJ(ファイナンシャルジャパン)』という雑誌の編集部がある会社で働いている」(金融ジャーナリスト)
との情報があった。
FJ編集部は秋葉原にあり、“アキバ系オタク誌”を発行していた。だが有罪確定直後に休刊。最終号の特集は「“エンタメ”の底力」と「宇宙兄弟」だった。事務所を訪ねてみると、「A Power」が頭につく会社が4つあった。「A Power」は、アジアのパワーという意味らしい。
今は無料の電子雑誌を発行し、アジア系留学生を対象に、就職情報や格安の賃貸物件を紹介している。
そこにひょっこり木村氏が現れた。白髪もかなり伸びていて、ポマードがついていないので、ハリネズミのように頭の斜め上方に張りだしている。くすんだブルーの厚手のニット・ベストを着ているせいか、ややウエストも太くなっている。
「木村さん!」と声をかけると、「はい、どうも」と。かつてのような険はなく、朗らかな表情で答えた。だが、こちらが取材の趣旨を伝えると、「あー」と目を逸らしたまま、オフィスに入って行ってしまった。
木村氏の出身校、東京大学経済学部の同級生が言う。
「昔から彼は実直にコツコツ努力するタイプ。麻雀にハマっていたけど、キッチリ単位も取っていた。一時、もてはやされて突っ張っていた彼よりも、素朴にコツコツやっているのがそのもの姿なんでしょう」
つまり、ややボサッとした田舎の秀才が木村氏の仮面を脱いだ実像なのだろう。
「奥さんとは離婚し、慰謝料8000万円を払った。その後、『次男が大学を卒業するまでの学費』として1億2000万円をはらった」(木村氏の知人)というが、この慰謝料や養育費が財産隠しだとして、元妻まで整理回収機構に提訴されている。
判決時、木村氏は、
「国家権力に闘いを挑むのは愚かなこと。青かった」
と語った。
今は虎視眈々とリベンジを狙っているに違いない。
さて、木村氏には天罰は下ったが、この銀行は設立当時から重大な疑惑が囁かれていた。銀行設立申請から認可までがあまりに速かったのだ。当然、メディアは金融担当大臣だった竹中平蔵の圧力あり、と疑ったが追及はなぜか尻つぼみとなっている。そのいきさつを東洋経済オンライン記事から紹介する。
破綻した日本振興銀の設立経緯検証へ第三者委員会設置へ--自見金融担当大臣が考え示す
自見庄三郎・金融担当大臣は10日、閣議後の記者会見において、経営破綻した日本振興銀行の設立経緯などを検証するための委員会を設置する考えを示した。「第三者の専門家による検証委員会」(自見大臣)であり、閣議の席上で同大臣が委員会設置を視野に入れることを表明したもの。
日本振興銀行は、竹中平蔵・元金融担当大臣当時、同大臣の下で金融庁顧問を務めていた木村剛氏が中心となって設立した。その設立経緯などは必ずしも明確ではない。しかも、銀行の仮免許、免許の認可審査は通常のケースよりも相当に速かった。日本振興銀行のベースとなる中小企業向け専門銀行の設立構想は、2002年、竹中大臣が策定した金融再生改革プログラムの工程表に盛り込まれ、同プログラムの策定のためのプロジェクトチームには木村剛氏がメンバーとして加わっていた。
しかも、同プログラムの工程表がバージョンアップされた際に、中小企業向け専門銀行の「認可審査の迅速化」が加えられた。見方次第では、認可審査する金融庁の事務方に対する政治的な圧迫とも受け取られない話だった。
一方、日本振興銀行の破綻直後、「東洋経済オンライン」は自見金融担当大臣に対して、こうした経緯にあるプロジェクトチームの議事録の公表を求めたところ、「議事録はない」という回答を得ている(正確には、記者会見に同席していた金融庁事務局による回答)。
とすれば、議事録もないなかで、何を検証できるのか。自見大臣によるトップダウンの指示が金融庁事務方に飛んだばかりであるだけに、今は、今後の成り行きを見守るしかない。
私はこの竹中平蔵と竹中を甘やかせた小泉元総理を刑務所に放り込むまで追及する覚悟であることを明記しておく。